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調べてみれば郵便局の制服はこの100年でずいぶん変わってきたようだ。郵便局が創業された頃のはまだ法被 (はっぴ) に竹の子傘。それに脚絆 (きゃはん) にわらじといった格好。そしてその法被の裏には郵便という文字が書かれていた。この郵便という言葉は前島密という明治の官僚が名付けた。この前島は大久保利通に東京遷都する利を説いた人物としても有名なお方だ。郵便という名前になる以前は飛脚となりかけたらしいのだが、すこし名前に品がないという事で、前島が 『郵便』 と決めたそうだ。この『郵』という文字は確か中国の古典から前島が拾ってきた言葉だった記憶があるが、詳しくは忘れてしまった。。だが郵便局が始まった当時の人々は 『郵便』 という言葉は聞いた事があまりない言葉だったようで、読み方がよくわからんかったらしい。初めて郵便箱をみて 『タレベンバコ』 と呼んだ人が結構いたようで、 『そんな高さでタレ便はできません』 と多くのねらーからクレームが来たと記録に残っている。明治の40年代になると、郵便局員のスタイルは変わったようだ。どこか学生服に似た趣となっている。足に付けていた脚絆は巻きゲートルになり、すこしだが軍隊ぽくなった。もちろん革靴である。明治40年と言えば日露戦争が終わった頃の事。ゲートルを付けて良いとなったのは、軍隊がかっこよく感じた時代だからだろうか。また昭和の戦時中ともなると、もろに軍の影響を受けたスタイルとなっている。そりゃそうだろう。 『おめでとうございます ! 』 と言いながら赤紙持ってくる郵便屋さんが学生服のような人だったら、 『お前が行け ! 』 と言われかねん。。よくよく考えると戦前の郵便屋さんの制服はどことなくカッコイイ。まあ、郵便ひとつとっても国家事業だった影響があるんだろうか。。まあそんな事はないか。。戦後日本は国家を否定する風潮が強かった影響か、郵便屋さんの制服も戦後のそれは脱国家的な制服となっていく。というより、まああれば良い的な制服が多い気がする。平成になれば、どうも爽やかがテーマのようなスタイルとなっていし、現代の郵便屋さんの制服は半分金融業のためかすらっとしたスタイルにビジネス~といった感じだと思う。
僕は幼い頃、郵便屋さんになりたかった。一日ず~とバイク乗っ取って婆さまと茶を飲んでれば仕事になると思っていたからだ。それにあの赤いバイクに革製のカバンが好きだった。自衛隊員や警察官になろうとする若者が少ないという。少しは制服をかっこよくすれば良いと思うし、時代性も考えた制服が必要だと思う。軍と警察は国家そのもの。少しぐらいイカつくったて良い気もするんだが。
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