2013年6月4日火曜日

日本サッカーと八咫烏

   今日は日本代表ワールドカップ最終予選がある。ふと 『何時から始まるんかな?』 とルンルン気分で新聞のテレビ番組欄を見たら、宮崎を代表する民放とNHKさんは芸能人の財布。。的な番組をやっている。。へっ !? あれだけ朝っぱらからオーストラリア戦の事を放送しておいて、宮崎県民はワールドカップを見れんのか !? と嘆いていたら NHK BS 1 で放送することが分りホッとした。。受信料を払っていて良かったと思った。。危うくごっついクレーマーとして宮崎のテレビ局に電凸をかけるとこでもあった。。 J リーグ (どっかの牛肉のようで名前が嫌い) のサッカー試合は全く見ない僕ではあるが、日本代表戦となれば僕の中の阪神タイガース初代私設応援団長 (ご親戚です。。) の血が騒ぎ出す。うぉ~行ったらんかえ~とテンションが朝から高い。しかし、みそぎは大事よと、体を風呂場で清め、右手にはビールそして左手には枝豆の握り、前祝いをやっていたら思い出した。。あっ、ブログ書くのを忘れていた。。既に気持ちは国立競技場に立っていた。って事で書きます。八咫烏 (やたのカラス) と日本サッカーについてです。

   日本サッカー協会のロゴマークは八咫烏である。八咫烏のことを知らない人のために書くとすれば、八咫烏とは神武天皇 (初代天皇) が日向の国 (現在の宮崎県) から大和 (現在の奈良辺り) を征服する、いわゆる神武東征の際、道案内のとして、ごっつい神様(名前は忘れた。。)から使わされた三本足のカラスのことである。この八咫烏の咫は古代は長さの単位として使われていた。八咫を m に換算すれば 18 m もあるそうだ。だが、この場合は単に 『大きい』 という意味だろう。 18 m のカラスが本当にいたら、神武天皇さまもビビって日向に帰っとる。

   調べてみたら日本サッカー協会がこの八咫烏をそのデザインに採用したのは1931年の6月なのだそうだ。昭和でいえば昭和6年。満州事変の発端となった柳条湖事件があった年である。確かによくそのサッカー日本代表のエンブレムを見れば、その角張った感じの絵柄は 『満蒙は日本の生命線』 と言われた時代のデザインである。石原莞爾がブイブイ言わせていた時代の最先端のデザインに見える。

   では何故日本サッカー協会のロゴに八咫烏が使われたのかと言えば、理由は実ははっきりしていないようだ。一説に、日本へサッカー普及に貢献した中村覚之助という和歌山出身のサッカー選手への敬意を表し、出身地である和歌山の熊野那智大社のシンボルである八咫烏を使用したという説があるが、定かではない。一応日本サッカー協会のホームページには 『中国の古典にある三足烏と呼ばれる鳥であり、日の神=太陽をシンボル化したものです。日本では、神武天皇御東征のとき、八咫烏(やたがらす)が天皇の軍隊を道案内をしたということもあり、烏には親しみがありました』 とはあるが、大分ぼんやりとしている。まあサッカー協会さんもそのあたりはよく分らないのだと思う。結構いい加減な理由だったりする気がせんでもない。またサッカー協会さんも天皇とサッカーをくくりつけると左巻きの方々からクレームが来かねない。

   黄色は公正を、青色は青春を表し、はつらつとした青春の意気に包まれた日本サッカー協会の公正の気宇を表現しているこのエンブレム。嫌いではない。だが 『Jリーグ』 という名前はどうも好きにはなれない。

   って事でサッカー始まりますよって、この辺にて。。

   ほなっ !

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