2012年9月22日土曜日

伊東マンショとパンチョ伊東。

   最近、僕が勤める宮崎県は西都市の工務店で仕事をしていると、必ず夕方5時過ぎに、どでかい音楽を流すヤカラがいる。来なはったな、右翼はん!と思い、毎度の事、事務所の外に飛び出すのだが、逃げ足が速く、ず~と街宣車を見つけられない日々続いた。な~んも悪い事をしていないのに、なぜに僕の会社に騒音を流しながら来るのかよ~わからなん。絶対に懲らしめてやる!と思い、今日は外で『さぁ~来い!』と待ち構えていた。そしたら、うちの社長のお孫さん(小学生)に言われた。『あれは伊東マンショの歌だよ♡』 えっそうなん !?、と思っていたら、どうもアマチュアな感じのアナウンスが流れた。『今年は~、伊東マンショ没後400年の節目にあたり~、伊東マンショの歌を流しま~す♡』 そして大音量で『伊東~マンショの~何とか何とか(音が荒くて、よくわからん。。)』 と流れてきた。てっきり右翼の街宣車かと思っていたのだが、それは放送されている音楽が、音割れを起こしていたので勘違いをしていただけだった。。それにしても、不必要に勇ましい曲だ。。

   僕は伊東マンショの事はよく知らない。宣教師と共に、ローマ法王に会見し帰国。秀吉に会った折りに仕官を勧められたぐらいしか知らない。日本に与えた影響は少ないかもしれないが、ヨーロッパ世界が見た初めての日本人として(もちろん一部のヨーロッパ人は見てますが。。)記録には残っている。ヨーロッパから帰国後、いわゆるバテレン追放令やキリシタンの禁令などが出て、さぞかし辛い人生だったんだろう。。

   宮崎県西都市は、伊東マンショの生まれ故郷なんだが、それだけで予算を組んで盛り上げようとするのは無理がある。あちらこちらに幟を立てて、観光協会さんがよくがんばっているのはわかる。だが、伊東マンショが西都市に住んでいたのは、生まれて僅か8年間のみ。島津氏の九州征服のため、あっさり大分に逃げているからだ。それに毎日流れてくる、音楽がけたたましすぎる。伊東マンショも草陰で、申し訳ないと思っているに違いない。

   と言いながら、実はこの伊東マンショのキャラクターデザイン募集に、僕は応募しようとした。ず~とデザインを考えたんだが、なんせ資料が少ないので浮かばない。友達と考えた結果、『伊東マンショ』ではなく、『パンチョ伊東』 ならいんじゃねぇ? って事になった。不思議なもので、マンショではなくパンチョならすらすらとアイディアが浮かんで来た。なかなか良いカツラがずれた感じのイメージ図は出来たのだが、如何せん友人と僕は、日向ボケ(この日向ボケども!も読もう!)。締め切りに間に合わなかった。。まあ出したところで、怒られただけだとは思うがね。。

ブログランキング・にほんブログ村へ
良かったら、ご協力下さい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

フォロワー

 
;