ふと考えてみると、8月はお盆休み意外は一切取っていない。って事で、久しぶりの日曜日だった。今のうちにホームインスペクション(住宅診断の事です)の準備をしたり自転車に乗りたいと思っていたのだが、体がどうも動かずぼ~としてしまった。昨日は10時過ぎに寝たのにかかわらず、今日は朝10時に目が覚めてしまい、これじゃせっかくの日曜日がもったいない!って事で久しぶりに本でも読もうかと本屋さんに立ち寄り、司馬遼太郎さんの本を久しぶりに買った。本のタイトルは『手掘り日本史』以前にも読んでいるはずなのだが、僕は司馬遼太郎の文章を読むとほっとするのでまた買ってしまった。その中に大阪人の歴史的気質というものが書かれていた。
『またも負けたか八連隊』という言葉ある。妙なもんで、幕末から昭和の戦争の戦闘惨烈の極所(軍事用語でとても重要な戦闘という意味)と言われる場面に大阪の兵隊さんが狩り出されているんだが、これがよく負けている。まずは鳥羽伏見の戦い。これは薩摩と長州が主力の官軍と幕府軍の戦いだが、幕府側は大阪で農民などを徴集している。つまり大阪兵が負けて幕府軍の負けとなった。その当時から弱いのは評判だったらしく、当時の外国人が大阪兵は弱腰で。。見たいな文章を本国に送っているそうだ。また明治7年の佐賀の乱、そして明治10年の西南の役での政府軍の主力は大阪の兵隊なのだが、この時も元侍の抜刀隊に散々にやられている。その後の日清日露の戦争でもなぜか極所で選ばれ、結構な痛手をおっている。まあ実際はがんばったようだが、今でもそのイメージはぬぐえてはいない。良い兵隊というものは、守れといわれたらどんなに意味のない場所でも命がけで守る。封建的な影響が大きい地域に育った兵隊は、極端に言えば命令を守らなかったら村八分や家の恥などと考える人が多いが、大阪の兵隊さんはさっさと軍をまとめて撤退した事があったという。
なぜそのような一面が大阪にはあるのか?大阪は伝統として封建社会を軽くしか受けていないからだ。お上の怖さを知らないしどこか権力をなめているところがあると司馬遼太郎氏は書いている。氏曰く、『大阪には天井がないが壁が有り、東京には逆に壁がないが天井がある』どことなく東京は厳格なルールに則り動くせいか、どことなく人々はうなだれているが大阪は違う。権力というウェイトが他の地域の人間とは違うようだ。
江戸の昔、大阪には武士階級は東京などと比べとても少なかった。一応奉行所があるが基本的には商人の自治に任されていた。北組・南組・天満組と3つの、現在で言えば区があり、そこで年寄が選出されて町が動いていた。当時他の場所にも天領はあったが、大阪ほど封建的でない場所は日本にはほとんどないと言って良い。似ていると言ったら長崎ぐらいだろうか。
そんなことが書いてあるこの本を読んでいる。そして閉塞感がただようこの平成の日本を変えてくれるのは大阪の人かとふと思った。そういえば宇宙に衛星を飛ばした東大阪の工場のおっちゃんたち。あの元気は天井を知っている人たちには出来なかったのかも知れない。まあ戦争になれば弱いかもしれんが。。
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2012年9月2日日曜日
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