稲刈りの季節が近づいている。村々の田んぼは黄色く色づき、その中を自転車などで走ると心が浮き立つ。この季節になるとトンボがよく飛ぶ。よく田舎の子供はトンボを虫網で追っかけ回すような映像を見る。が、僕はやった事がないし、そんな子供を見かけた事も無い気がする。知り合いの日本に長い事住んだアメリカ人が帰国し、メールをたまに送ってくる。その中に、日本はトンボが飛ぶ季節だねって書いてあった。そういえばアメリカではトンボは見た事はない。いるのかもしれないが、日本ほどは目立ってはいないし、情緒を感じるほどの季節感は彼の国にはない。
日本にお米が最初に伝わったのは弥生時代だと僕は習ったが、最近の研究では縄文時代後期の約3000年前なんだそうだ。朝鮮半島を経由し稲作が伝わったとも、いやいや中国の南部から来たとも言われているが、どちらが本当かはよくわからない。しかし当時の人々にとっては最高の食物だったろう事は言える。その証拠に、長い事日本ではお米が紙幣価値を持っていた所謂石高製だ。お米は腹もふくれるし、菓子やお酒にもなる。分かりやすい紙幣と言える。また戦国時代、戦に行くと白いご飯がでた。これが兵士には大変うれしかったようだ。しかし、概ね2日ぐらい分ぐらいしか一度には支給されなかった。なぜなら勝手にお酒に変えてしまう足軽さんらがでてしまい、いざと言う時には使えない事もあったからだそうだ。
しかし、白米にはビタミンB1などが不足しており、これによる弊害だってあった。脚気だ。別名江戸煩(わずら)い。白米を食べる事が多い江戸の町では脚気が大流行。田舎武士だって江戸詰になれば、体面上白米を食べた。よって多くの人々の命を奪った。現在では薬で治る病気ではあるが、大正年間ですら毎年2万5千人も死んでいる。日清・日ロ戦争時の脚気論争などは有名だ。文豪でもある陸軍軍医・森鴎外が病原菌論を繰り広げ、海軍軍医・高木兼寛は食事療法を勧めた。結果海軍では脚気患者は激減し、陸軍では脚気で多くの死人をだした。しかし、下士官らに出されたパン食は評判が悪かったらしい。結局麦飯で落ち着いたそうだ。それ程日本の米文化は根強いといえる。
日本は今も昔も、白米が大好きだ。しかし、跡取りがいない農家が多い。もう白米では生計を立てれないからだ。よって農村の興廃も進むだろうと思う。僕の親の世代は昼間はサラリーマンをして、夜は畑仕事をしてきた。しかし田舎に住んでも8時間労働は変わらない。これが4時間なら農業も可能かもしれないが。。黄金色の田んぼもあとどれくらい見れるのだろうか。。そんな事を考えた。
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2012年9月11日火曜日
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