2013年8月28日水曜日

栗と日本人

   夕暮れ時、母親が 『ちょっと手伝って』 と言ってきた。 『何ぞな?』 とふり返ると、母親はもんぺに蚊取り線香、そして麦わら帽子に虫除け網。模範的な農協婦人部の格好で仁王立ちしている。 『栗が落ちてるから拾って』 と言ってきた。へ !? 栗ってもっと秋じゃないの ? とは思ったが、落ちているだという。僕の家の近くには栗林がある。林と言っても母親が趣味で植樹した栗林である。母親は自分の家で食べるものは自分で作りたい人で、好物の栗を植えまくった。おかげで採る手伝いをさせられる僕としては大変だが、まあ栗ご飯が食べれるからそれは良いとしよう。だが急に言われたって僕はそんな装備は持っていない。そういった農業的な趣味は持ち合わせていないからだ。だが、どうしてもと言うので、急きょ僕もお百姓のユニフォームに変身する。だがメトロセクシーな僕にはお百姓姿は似合わないはずだと思ったが、なぜかがっつり似合っていた。普通の人よりも絵になるのが不思議だ。。きっとイイ男だからだろう。。

   栗拾い道具にはサイバチが最適であるのだが、いつもモノを無くす父親がどっかでなくしたので、手元にあった鉄器を手当たり次第持って母親に合流する。母親が落ちている栗をほうきで掃き、その栗の皮を鉄器で剥いて実を取り出すのが僕のお仕事である。腰には蚊取り線香をまいているのだが、田舎のヤブ蚊は気合いが違う。僕はしゃがんで作業をするので、若干だが僕の桃尻はローライズ気味となる。そこを狙って蚊取り線香の煙をかいくぐったヤブ蚊が特攻を仕掛けてくる。気が付けば僕の桃尻はポンカン尻になっていた。。作業をしている間、昔の人はどんな感じで、この栗を採っていたんだ。。とず~と考えていた。。どう考えたってサイバチは最近だよね。。

   日本に鉄器が入ってきたのは色んな説があるが、弥生時代と言われている。当時は全てが輸入であったらしく、一般に普及したのはたたら製鉄の原始的なカタチが確立された古墳時代といえるだろう。だが栗は青森県の三内丸山遺跡から発見されている事を鑑みれば、縄文時代には既に食されていた事となる。やっぱり石の槍か何かで栗を剥いていたんだろうか。。

   調べてみたら栗は自然界では弱者にあたるらしく、山栗が自然に ” 林 ” をなす所はないそうだ。つまり人間の手が入って初めて栗が育つということらしい。手を入れるという事は栗林には肥料が欠かせないという事である。実際母親はせっせこ肥料 (主に枯れ葉) をまいている。でなければ土地が痩せて栗が枯れるようである。縄文人にとって栗は大切な食料であったらしく、実際三内丸山の周囲の森はほとんど栗林であるそうだ。また直径 1 m の栗の柱が6本も見つかったそうだ。そんなでかさの栗の木なんか見た事がない。。

   いつからかは分らないが、食べ物を与えてくれる栗の木への感謝と畏敬の気持ちが、信仰の対象となったらしく、栗の木を催事用品に用いたり、お供え物としたり、節目に食べる年中行事に取り入れるようになった。秋に取れる栗を正月におせちにわざわざ入れるのはやはり何か信仰的なものなんだろうか。。また戦国時代に出陣に際して食べる縁起物である 『かち栗』 は有名だし、保存食に使える栗は戦場へ持って行かれたようだ。さぞかし戦場で食べる栗はうまかったであろう。また現在では違うが、最近まで線路のレールの敷板には栗が使われていた。栗は柔いが腐りにくいのが特徴である。なので国鉄時代のほとんどの線路には栗の木が使われていたそうだ。これが冬の農家の良い小遣い稼ぎになったようでもある。

   夜7時過ぎまで栗拾いはかかった。普段、畑仕事などしない僕などはひぃひぃ言って疲れたが、良い汗をかいたのでちょっと気持ちが良い。 『どれくらい取れた?』 と母親に聞いた。そしたら母親がビニール袋に集めた栗を入れてハカリで量ってくれた。大体5キロだった。まあ、1時間ちょいでこれくらい取れたら十分だろう。母親が言うには僕の町でくり1キロは大体800円なんだそうだ。まあ4000円分儲かったと思えば、それはそれで楽しいモノである。それにお尻の痛みはウナコーワで吹っ飛んだしね。

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栗最高 !!
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