損害保険鑑定人とは地震などの自然災害で起きた損害を鑑定するのがお仕事だ。直接保険会社が行くのではなく、僕らのような鑑定人が第三者として損害を見極めに行く。建物と家財を鑑定するのだが、全損、半損そして一部損を見極める。これら3つに入らなければお金は支払われない。今回は被害が多かったので大抵は一部損以上は出た。まあ中には明らかな詐欺師もいたが。。
最初は東京は銀座で鑑定をしていたのだが、その後、東北は仙台へと移動となった。僕らが仙台へ移動したのは5月6日だったと思う。宮崎生まれの僕はまだサクラが咲いているのに驚いた。当初は仙台市での鑑定が多かったのだが、確か5月20日に津波被害が大きかった仙台市の北方にある女川町へ行って来た。保険会社が言うには連絡をしたくても電話が繋がらない。なので近くに行ったついでに行ってきてという事だった。。
東日本大震災から2ヶ月後の女川はまだ建物が道路脇に置かれてままであった。だが一番の印象はその臭いだ。全てのモノが錆びているし、腐った臭いが充満していた。どこの地方でもよくある漁港の臭いを何十倍もきつくした臭いである。とにかく臭いが厳しい。また道路のアスファルトは全て剥がされていた。理由は色々あるだろうが、車が走るのに不便だからだろうか。途中、タクシーのパンクという想定外の出来事もあったが、目的地まで何とかたどり着いた。家は高台にあったので家自体は残っていたのだが、津波の被害は受けていたらしく、コンクリートの基礎の立ち上がりが半分ほど無くなっていた。間違いなく全損である。だが支払いをする対象者は探せどもいない。。やむを得ず写真証拠を残さねばならないので、無礼を承知で家に入って写真を撮らせて頂いた。近くにいた自衛隊の方が明らかに不審者を見る目で僕を見ていた。なので一応、これこれこういう理由で家主さんは知りませんか?と聞いたが、自衛隊さんももちろん知らない。だがよく見たら連絡先を書いた紙が落ちていた。どうやら壁に貼ってあったのだが風雨で剥がれたらしい。連絡してみると隣の石巻市の息子宅に住んでいると言われた。
テレビなどで見る被災者さんは大抵は暗い顔をしている。だが、僕ら鑑定人が現場に行った場合はそうとは限らない。大抵は 『よく来たな兄ちゃん』 という感じだ。そりゃそうだろう。家を失って途方に暮れていた時に、何の縁もない九州は宮崎の兄ちゃんが2,000万円以上持ってくるのだ。もの凄くありがたがられる。石巻市にあるその息子さんは居酒屋をやっていた。なので 『兄さん、とりあえずビール飲んで行け』 と言われた。もちろん断った。仕事中だからだ。『うんじゃ、おすすはいるか?』と言われた。きっとお寿司だと思った。昼飯を食べていなかったので、ありがたく頂いた。だがもちろん銭は払った。
ふと東日本大震災のニュースを見る度に、僕が仕事で訪れた方々はどうされているんだろうと思ったりした。いつかまた東北へ行こうかと思っている。もちろん遊びでだ。
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