2013年8月21日水曜日

ロシア娘のマリアとターニャ

そっくりですが別人です。
   まだ僕がアメリカのとある会社に勤めていた頃、マリアというロシア娘と親しくなった。マリアは8歳であった。彼女はアメリカに移民してきたらしい。移民と言うよりは実は亡命に近い。親は後でこちらに来るよと伝えていたが、実は既にこの世にいなかった。どうやら殺されたようであった。といっても彼らの親が堅気かと言えばそうではなく、がっつり大金持ちのマフィアであったらしい。。それもロシアではごっつい有名な。。

   当時はプーチンが政権をとる寸前の時期である。当時のロシアはソ連が崩壊し経済は混乱を極め、マフィアがはびこり利権争いの真っ最中。そのカオスに巻き込まれ殺されたたと聞いた。その後ロシアにいる親戚が引き取ったのは良いのだが、その親戚までが危なくなったので手に負えず、もともと知り合いであった僕の会社のお偉いさんを通してアメリカに一時保護としたらしい。のちにそのロシアの親戚まで彼女を理由にアメリカに移民しに来たが、その親戚が来るまでの間、彼女は僕の近所の会社のお偉いさん宅に住んでいた。

   とはいっても娘はやる事が無い。なので会社のお偉いさんに 『遊んであげてね』 と僕は言われた。だが僕かて忙しい。。なので当時付き合っていた日本人の女に昼間は遊んでもらい、僕が仕事から帰ると公園でバトミントンなどして遊んであげた。だがもちろんだが、彼女は英語が喋れない。なので僕が日本語をしっかり仕込んで上げた。だがあまりにも不憫だという事で、知り合いの大学院に通っているロシア女のターニャに頼み込み、彼女にロシア語の書き方を教えてもらう事にした。それからよくマリアがターニャを連れて僕の家に遊びに来るようになり、気が付いたらそのロシア女が僕の家に住みつき、 『君らは仲良しだから』 という理由でお偉いさん宅からマリアは僕の家に住み着いた。。気が付けば僕×ロシア女2人の妙な3人暮らしが始まった。。

   大学院生のターニャは訛りの強い英語を話すのだが、もちろん8歳のマリアに対してはロシア語である。僕からすれば何を言っているのかさっぱり分らん。。だが僕がマリアに話すのは日本語である。。ターニャからすれば何言ってるんだ。。って顔をしている。実に妙な空間である。ターニャはロシアに対する祖国愛が強い女性で、いつもマリアにロシア料理を教えてあげていた。これが結構うまい ! 人生で初めてロシアのボルシチを食べた時は驚いたもんである。だが文化の違いだろうか、日本人であればフライパンが暖まったかを調べるのに水を軽くまいたりするが、ターニャは 『ペッ !! 』 とフライパンに唾をかける。 『ロシアでは普通だよ』 とターニャが微笑んでいた。。ある日、 『ターニャが料理がうまければイイ男を捕まえれると教えてくれたの ♡ 』 とマリアが言っていた。。おいおいターニャは何教えてるんだ。。

こいつは嫌いだそうです。
   その後、僕は日本に帰国し京都に住んだ。そしてターニャは大学で知り合ったアメリカ人の教師と結婚し、マリアは親戚に無事引き取られた。僕が京都に住んでいた頃、マリアからメールが来た。 『日本に来ちゃった ♡ 』どうやら大阪に親戚が仕事で転勤になったんで、ついでに遊びに来たらしい。という事で、 『京都に遊びに来ていい?』 というメールであった。 僕は 『ああ、ええよ~』 とメールした。17になっていたマリアは信じられんくらいに美人になっとった。。さすがロシア女である。。若い時はべっぴんである。。年をとればタマネギ頭になるだろうが。。それも日本語がめちゃくちゃうまい。。話によると、ロシアの日本語コンクールで1位になったらしい。。それからちょくちょく僕の京都の家に遊びに来た。そしてターニャに習ったボルシチを食べさせてくれた。なつかしい味がした。だが、やはりフライパンに 『カッペ !!』 と唾を吹きかけていた。。料理はうまくても唾を吹きかけたら男は引くぞと教えてあげた。。

   そのマリアがロシアの外務省に勤め始めたとチャットメールが来た。 『おいおい、あんたはロシアが嫌いじゃないんか?』 と返信したら、 『やりたいことがあるの』 と返って来た。なので、『北方領土と、ついでに千島列島も返せ !! 』 と書いてあげたら、『いいよ♡』 とあっさり返信してきた。

   これで返還された際は、僕の手柄のはずである。

   僕も少しはお国のために役立っとのである。

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ああ、ボルシチ食べたい。。

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