昔の家々は衣替えをした。夏が来れば蚊帳をとりだし、簾(すだれ)をたらし、そして畳の上には竹のゴザを敷き詰めた。冬が近づけば、オコタを用意し火鉢を取り出した。季節の節目には和室に飾る掛け軸を変え、床の間の花は若奥様が準備し、そして飾りたてる。それらの生活が美しいと考えられてきた。また、そのような生活が、日本的な生活として実際に50年ほど前まで普通に営まれてきた。だが、 ”近代” というヤツはそれらの伝統的な暮らしとしての住宅建築を否定してこそなりたっている。
現代の家々は、高気密・高断熱の家だ。国が押し進めるECO住宅も、住居の空間を完全に断熱材でしめきり、そしてガラスは2重窓が標準だ。旧住宅公庫であるフラット35しかり、そして、長期優良住宅しかりだ。いかに丈夫で火事に強く、また長持ちし環境に良いかが主眼であり、伝統的な生活スタイルなどという考えは、そんな家々からは見えては来ない。今では工務店などではそんな補助金がでやすい家々が標準となり、昔ながらの生活を満喫できるような本格的な日本家屋を作ること自体少なくなってしまった。なぜならそのような生活を送れるような住宅は、作るのに手間がかかるのが理由かもしれない。手間がかかればその工務店の坪単価が高いと思われ、それを工務店やハウスメーカーはとても嫌うからだ。なので昔ながらの生活が似合う家は大工さんら自ら手を引いてしまった。残念な事だと思う。

良い家とは何かと毎日のように突き詰めて考えている。僕が思うに、結局はどういった生活をその家に住む家主さんらが送れるかという事だと思う。毎度の如く季節感のない家を頼まれるたび、そんな事を思う。
いつまで日本人は、季節感のない家々をつくり、自らの生活を窮屈にしていくのだろうか。。
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