僕が住む宮崎の田舎では野焼きの時期となり、最近、自転車で走っていたりすると田んぼが真っ黒に焦げている。幼い頃などは野焼きほど楽しい物はなく、火付け係をエンジョイしていた。草という草に火を付けまくり B ダッシュで逃げる。田畑の脇に生えた草などはこの季節はもちろん枯れており、すぐに火が付いてとても熱く近くにはおれないからだ。日本は自然の力が強いらしく、寒冷地を除き、草原はすぐに森林へと遍移するらしい。分りやすく言えば、ほっとくとすぐ森になるという事だ。野焼きを行う事で、この遍移が止まり、草地のまま移行される。また野焼きには新たに出る若草のための肥料にもなり、また害虫を焼き殺す効果もあると考えられて来たようだ。どれくらい昔から野焼きをやって来たのかは分らないが、草地を維持するため毎年この時期になると、火付け作業をエンジョイしてきた。とある国会議員さんが演説で言っていたのだが、日本の原風景は田畑であり、里山だ。これを維持するための野焼きであると考えると、実に有意義な習慣だと言える。ふと野焼きを調べてみると、奈良の若草山では山全体を燃やしてしまうそうなんだ。豪奢な事である。古都奈良ではそれが伝統行事となっているらしく、旧暦の新年を飾る祭礼なんだそうだ。誠に豪奢な事である。実に行ってみたい。山一つ燃やすってのは実に血が騒ぐお祭りだ。
だが残念な事に、僕の地元の野山や田畑は荒廃がとても激しい。跡継ぎがみんな都会に出て仕事をしているため、後継者がおらず田畑は荒れ放題だ。という僕も跡取りではあるのだが、田畑作業はしない。というのも猿やイノシシなどが出没し田畑を荒らすため、経済的に成り立たなくなったからだ。
地方に住んでいるからと言って、半農生活を営もうという人々はだいぶ減った気がする。僕の親の世代まで確実にそうだった。僕の家は米とイチゴを作っていたので、父親などは昼間はサラリーマンをし、収穫期などは夜3時頃までイチゴの作業。米の収穫期などはもちろん週末は休み無し。こういった作業しなくては食べれなかったというのもあるが、それが普通の生活だと考えていたんだと思う。
しかし、僕らより少し上の世代から考え方は変わった。皆こういった兼業農家を嫌い都会に出た。そりゃそうだろう。東京に本社のある会社などの宮崎支店で勤めても、地方だからという理由で給料は安い。同じ8時間働いてもだ。それに都会の女子高生のコンビニのバイトよりも、僕の地元の正社員の給料の方が安い事などざらだ。地方の方が食料品などが安かった時代もあるだろうが、今は都会とあまり変わらないし、地方は土地が安いが、車は必需品。なのでそれほど違いがあるわけではない。まったく馬鹿らしい話だ。現在の労働体系は地方に兼業農家を義務づけているようなもので、そりゃ若者は逃げるし嫁も来んはずだ。なので労働力が減り、美しい里山の風景がやぶとなり山となる。資本主義のしわ寄せが田畑の荒廃に現れていると言える。やはり解決策は田舎の専業の個人農家が儲かる仕組みを考える事だと思う。そうすれば、都会に出る人も少なくなるだろうし、逆に戻ってくるだろう。それに1000万を稼ぐ農家には嫁かて来る。都会よりも儲ける義務が田舎にはあると思う。
田舎は田舎で色々試してはいるが、どうも上手くいってはいない。僕は里山が好きなので、何とか里山を維持したいし、その担い手がほとんどいない現状を何とかしたい。以前、とある町の将来を考える若者(40歳ぐらい)の会合に出てた時の事。もう少し皆さんネットを使って商品を直接売る努力をしたらどうでしょうか?値段を直接管理し、ルートを自分らで確保しませんか?と提案したのだが、みなネットどころかパソコンすらさわった事が無い方々。よって、もの凄い抵抗感があるらしい。それに仲介さんを通さないのは仁義に反すると考える人々もいて上手くいかない。そしてすぐ酒を飲み出し、嫁ほしさに合コンしてぇ~と言っていた。もう、まったく。。嫁より金だろ。。
市場原理で壊れていった里山を、市場原理で再開発できないものかと考えている。もちろんそこにはネットは欠かせない。何とか面白いアイディアが浮かんでこないか、自分の脳みそをフル回転させている。だが、まだ煮詰まってはいないのだが。。
良かったら、ご協力下さい。
2013年1月30日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿