2012年4月18日水曜日

京都建築専門学校のおかげです。。

町屋校舎です
  僕は京都建築専門学校という小さな専門学校を卒業した。夜間部だった。昼間は働き夜に学校に行く。勿論、超苦学生。しかし夜間学校の生徒は年齢的にも30ぐらいが多く、また勉強意欲もあり、それはそれは役に立った。宿題をやった、勉強したというよりも建築についてじっくり考る良い期間となったのは僕にとって貴重な経験だ。この建築についてじっくり考える期間と言う物は建物を建てる仕事に関わる物にとって非常に重要だと思う。例えばハウスメーカーの営業さんや不動産屋さんから設計業務に入った人々と、建築学を勉強してきた人々とは視点が全く違ってくる。以前勤めていた京都の設計事務所の社長さんは、不動産の営業をされた後に設計事務所を立ち上げた。しかし建てている物は全国一緒の建物。同じ建物を京都で作り、大阪で作り、神戸で作っていた。僕の中では彼のデザイン力は皆無に等しく、そして作っている物は犯罪的であったと今でも思う。しかし彼は儲かっていた。開発業者に女を抱かせ一緒になって太っていく典型的な悪だ。しかし仕事はず~とあった。しかし倫理的に同じ建物ばかり作って良いとは思わない。しかしこんな事を考える事が出来たのも専門学校で純粋に設計を勉強したからかも知れない。でなかったら僕も同じ家を全国一律で作っていただろうと思う。

  建築の学校の良いところは、建物の建て方を学ぶ事と同時に、実際に製図を自分でデザインする事にある。夜間だったせいでもあるのだが、最初に一つの木造建築を模写してあとはいきなりデザイン。今考えると恥ずかしいようなデザインだったりするのだが、とりあえず書かされる。よくよく考えると卒業までに多分30枚ぐらいは書いたのではないだろうか。木造2階建てのプランやコンクリートの図書館。リフォームプランや公園のデザインなど、結構幅広い。そして最後には卒業作品と言う物を作らされる。昼間の生徒さんは卒業前の半年前ぐらいから卒業設計について考え、そして作り上げていくのだが、夜間学生はわずか1月半しかなかった。最低提出図面数は8枚だったと思う。この卒業作品をクリアーできないと卒業は認めてもらえず、僕のクラスメートだった人間も実際に留年した。僕は京都会館と隣の公園を改修して音楽を専門とする改修案的な物を出した。僕だけではないのだが、プランの段階から京都大学出身の先生方にぶ~ぶ~言われ、へこみながら作った。『おい、ここのデザインは逃げてるじゃないか!』とか激しい口調で罵倒されたりしたものだ。当時はなんだよって思ってはいたが、今となってはちゃんと糧になっている。ありがたい事だ。

  ある本でレンゾ・ピアノという建築家が言っていた。一日のうち30分でもゆっくりとした時間をもち自分が何を作りたいのかじっくり考えるようにしていると。デザインとはふとした瞬間にひらめく。このひらめきを求めるために専門学校があったんだと僕は思っている。

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