阿久根市のあ~と |
僕は小学生が作るオブジェみたいな物を町の中に作るのは反対だ。例えば宮崎県は木城町にあるオブジェ。小学校内にあるなら良いのだが、公道の脇にある。そしてこのオブジェは子供がダンプにひかれている。このオブジェは大きなタイヤの横に、元は白かったであろう子供の銅像が、ダンプカーみたいな大型車にひかれる瞬間のような物を模写している。その白かった子供が汚れて黒くなっている。僕らが幼い頃、よく原爆の映画を強制的に見せられた。焦げて真っ黒になった子供を見ているようで小学生の僕には耐えられず、それが未だにトラウマになっている。この銅像がそれに見えてならない。これは小学生が作ったのかどうかは知らないが、どうもオドロオドロしい。交通安全のために置いているのだと思うのだが、変だと思えてならない。って事で町の会合の後の飲み会の席でそんな事を言った。そしたら『みんな一生懸命作ったんだから、そんな事を言うなよ!』とか『お前勝手にやれ!』なんて年配の方々に言われた。僕の中では『えっ、意見出しただけじゃん?』って思ったりしたんだが、結局は賛同を得られるものではない意見だったようだ。どうやらみんなが一生懸命作ったら、汚いとか変だとかは言ったらいけないらし、思ってもいけないらしい。そんなふうにこの国はできている。
堤防にあ~とは好きではない |
以前テレビのニュースで鹿児島県阿久根市のアート事業についてやっていた。これはリコールとなった前市長の竹原氏の専権事項で議会を通さず始まった事業なんだそうだが、これはもちろん著作権の問題もあるのだが、その他にも色々と考えさせられてしまう。これが仮に小学生が書いていたらどうなんだろうか。景観の観点から文句を言えるのだろうか?あくまで僕の意見なんだが、近所にこのような『あ~と』と名前のつく物ができれば迷惑だ。それに一度書かれたら中々消すってのは難しい。小学生が書いたんだからって言われるのは目に見えているし、心のない人間って言われる気がしてならない。仮にこれがアメリカだったら必ず裁判になると思う。日本と違い彼の国は土地ではなくストリートとしての美しさを大事にする。つまり点ではなく面を大事にするって事だ。実際にその家の地価だって下がるだろうし、自分の住むストリートを汚す物には意見を言うのは当然の権利だからだ。その裁判をする相手誰だろうが関係ない。よくよく考えて見ると僕の近くの町の港のコンクリートの堤防に小学生のアートがある。僕は釣りによく行っていたのだがどうも気になってしょうが無かった。本当に港の人はこれで良いと思っていたりするのだろうか。決して美しい芸術だとは思わないのだが。。
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