ディズニーランドには思い出がある。まだうら若き小学6年生の夏休みの事。父親が『おい、東京行くか?』と言ってきた。何を血迷ったんだと思ったりしたが、ここで断ると必ず怒られると過去の経験で知っていた僕は、『うん、行く』と二つ返事で答えた。しかし東京に来たのは良いが、妙にびびってしまい、3泊4日の旅はカレーライスやカレーうどんなどカレーとつく物ばかり食べていた。しかしなぜか急に、『ディズニーランドに行くぞ!』と言われ、のこのことついて行った僕は驚いた。どこに行っても行列。乗り物なんて何時間も並ぶ。予想に反せず僕は疲れ、目に入ったケンタッキーフライドチキンに入った。さすがに宮崎の片田舎にそだった、純朴な少年であった僕だってケンタッキーぐらいはテレビCMで知っていた。しかし現物を初めて見たのはこの夢の国ディズニーランドが初めて。『地鶏よりもうめぇ~!』 めちゃくちゃおいしかった。あまりにもおいしかったので夜のパレードまでケンタッキーにず~っと座って待っていたのを覚えている。他の客がいようが関係ない。ずっとちゅ~ちゅ~とコーラを飲んでいた。『動かざること山の如し』 きっと店員のお姉様方はこの少年の未来に一輪の光を見たのであろう、だれも『出て行け!』とは言わなかった。
3泊4日の東京旅行も終わり、夏休みが終わりかけていたころ、かつお君のように毎年恒例の夏休みの宿題提出に追われていた僕に、父親が『ちゃんと東京の事を作文に書けよ』と言ってきた。『何言ってるんだ、もう終わったわ!』と僕はどや顔で原稿用紙3枚半の宿題を見せたら父親に殴られた。そして『最低20枚は書け!』と厳命された。小学6年生にとって作文20枚はど~考えたってつらい。それに僕は国語は2を極める主義だったので、それはそれは大変な作業となった。確かに興味の無い野球の試合だって見たし、カレーライスは食べた。ミッキーさんとも兄弟の契りを交わして来た。しかし一番頭に残っているのはケンタッキーフライドチキンさまだったのだ。おかげで作文は6割をケンタッキーに費やした覚えがある。結局は13枚しか書けなかったが、泣きながら許しを請うた。
しかしこの必死で書いた作文が賞を頂いた。何が良かったのかさっぱり分からんが、少しはケンタッキーの宣伝にはなったはずだ。少なくとも宮崎にケンタッキーがあるのは僕のおかげだと今でも自認している。きっとこの作文がなかったら宮崎県民は未だにケンタッキーを食べていなかったはずだ。チキンナゲットぐらいは無料にしてくれてもええはずなのに、カーネルサンダースはいつもニヤッとほほえみ返してくるだけだ。
そんな事を考えながらホームインスペクションへの現場へ向かった。どうも頭がおかしいらしい。
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