2013年11月4日月曜日

『拝啓天皇陛下様』ではあるまし。。

  ぼんやりとだが、もう一度見てみたいと思っている映画がある。寅さんで有名な渥美清さん主演の『拝啓天皇陛下様』という松竹の娯楽映画だ。もう一度といっても、僕がまだ幼い頃に見たよな~という記憶があるな~ってぐらいで、内容はまったく覚えていない。だが幼心にも、天皇陛下に手紙を書くという行為にびびってしまい、どきどきしながら見ていた覚えがある。今年の夏ぐらいだったか、ぼんやりYoutubeを見ていると、右の動画紹介欄のトップにこの映画の予告編が出ていてた。あっ懐かしい!と思わず押してその予告編を見た。よくよく見ると、実に天皇陛下への愛に溢れたほのぼのとした映画でなにやら良さげだ。またなかなかの豪華キャストでもある。寅さんで有名な渥美清さんはもちろん、長門裕之さんも出てる。水戸黄門をやっていた西村晃さんも出てる。アホの藤山寛美さんも、なんで出たのかは知らないが、おにぎりが好きな画家(ホントかは知らないが。。)山下清さんも出ている。それ以来、見たいな~見たいな~とぼやいている。


  先月の31日に国会議員になったメロリンQこと山本太郎議員が、事もあろうに天皇・皇后陛下が主催する園遊会で陛下に手紙を渡した。それも大変無礼なことに天皇陛下を呼び止め、片手で陛下に手紙を渡した。正直、気分悪い。。内容は福島原発に関する事であるらしいのだが、よく分らない。ネット上ではこの手紙の内容というモンがす出回っているが、これはガセと事務所側が言っている。まあ誰かが偽造したのであろう。だが、一体この方は何をしようとしているのかさっぱり分らない。。まあ、天皇陛下に自分の意見に同調してくれと言いたいのであろう。

  山本議員は『メディアが騒ぐと政治利用と思われる』とか『立場や身分は関係なく思いを伝えたかった』と言っている。あまりにも幼稚だと思わないのだろうか?彼が園遊会に招待されたのは、彼が国会議員という立場であればこそであり、『立場や身分は関係なく思いを伝えたかった』というのはあまりにも身勝手な論法だ。また皇后陛下が天皇陛下の手を引いている姿は明らかに天皇陛下を心配されての事。自分のやった事がどれほど醜いか、このコメントを出すところを見ると分っていないのだと思う。もし仮に、この手紙に毒物などが含まれていたらと考えるとそら恐ろしい。

  映画『拝啓天皇陛下様』では『東京市、天皇陛下様で届くやろうか~』とぼやく主人公に、質問された友人である長門さんが『馬鹿モン!』と怒って手紙を破り捨てる。これが普通の感覚だと思う。山本議員の周りには長門さんのように止める人はいなかったのだろうか。明らかに直訴状を天皇に渡すのは『政治的な死』を意味する。彼に一票入れた人々は反原発の人がほとんどだと思うが、こんな事をされたら、彼の意見に賛成である人々も彼が何を言ったって相手にはしないだろう。それが政治だと思う。少なくとも反原発の人々の意見も、今よりも国会に届きにくくなるとは思わなかったのだろうか。

  参議院は明日の5日に理事会を開き、処分を検討すると言う。世の中には足尾銅山鉱毒事件で有名な田中正造に山本議員をなぞらえる人もいるが、これは明らかに違うだろう。少なくとも田中正造は議員を辞め、妻と離縁し、死を覚悟して直訴しているし、また当時の天皇制は今の天皇制とは明らかに違う。また今上天皇も福島のことについては山本議員に言われなくてもよくご存じだと思う。自分の意見を言うのを抑えてらっしゃる天皇陛下を利用したパフォーマンスをしたわけで、明日の理事会が注目される。

  僕は、反原発でも原発推進派でもない。だが、まがりなりにも山本太郎氏は国会議員である。議会を通じ、あらゆる諸問題を民主的解決を持って行うのが彼の仕事であり、そこを無視して彼は国の象徴である天皇に直訴したわけで、国民と議会を裏切る行為でもあり、国民にそっぽを向かれても当然の行為だと思う。

  いったい、彼の議員バッチは何のためにあるのだろう。。


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まあ、議員は辞めさせられるだろうな。。

2 件のコメント:

  1. 為せば成る、為さねばならぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)

    意思のない人間の歌である。
    為せば成るとは限らない。矛盾があれば為しても成らない。
    考えから矛盾を除去するには、文章が必要である。
    日本語には未来時制がない。だから、未来 (非現実) の内容は文章として表現できない。
    ‘筋が通る通らない’ を問題にせず為すことになるから、行き当たりばったりの行為となる。
    だから、耐え難きをたえ、忍び難きをしのんでも、為して成らぬことが多い。

    やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず  山本五十六 (やまもと いそろく)

    治者崇拝を利用した、’意思のない人間’ に対する上からの教化である。相手は自立した人間ではない。12歳の大人か。
    与えられた民主主義、与えられた自由、与えられた平和などなどの実例がある。
    意思がないので、自発性もない。恣意の自発では、なお困る。恣意には筋がない。文章がない。話が通じない。個人主義がなくて、利己主義がある。
    おとなしくしているのが良い。待ちの政治か、静観か。常に受け身の立場。意思のないところに方法はない。

    高等教育は、自己の意思を表現させるものでなくてはならない。生きる力になる。

    http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
    http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/


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  2. コメントありがとうございます。
    どうも僕にはちと難しいようです。
    かみ砕いて頂ければ助かります。

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