思うに会津がいなければ幕末の日本は美しくはない。会津ほど旧体制である幕府に忠義をつくし、朝廷のためにも働いた藩はないだろう。だが時代は流転し、気が付けば会津は朝敵扱い。この前まで朝敵であったはずの長州と、最近までお仲間であったはず薩摩、気が付けば敵になっていた土佐に、そして日和見だったその他の諸藩が加わった新政府軍は、ずんずん北上し会津盆地へ攻め寄せた。家老である西郷頼母の一族21人を始め、会津の多くの女子供は足手まといになるからと城に入らず自刃したり、家族の手で殺されている。白虎隊だって町が燃えているのを城が落ちたと勘違いして自刃している。時代が変わるところっと態度を変えるのが日本人の特徴ではあるが、会津は意地を見せた。もちろん松平容保公の恭順が許されなかったという事もあるだろうが、最後まで戦い抜いた会津の方々を見る度に誠にアッパレだと思う。
我が家の夕時は、焼き肉だった。宮崎牛の霜降りである。そして横には最近助けた猫 『ミィー(別名タチアナ)』 がいる。助けたのは良いが、どうも衰弱しきっているいて死にかけている。獣医さんに見せたらブドウ糖入りの注射を打ってくれた。その獣医さんがポカリスエットを飲ませてねと言うので、晩ご飯を食べながらポカリをむりくり飲ませた。猫の恩返しするまで死なせるわけにはいかんのだ。霜降りもたんまり食べ、そして子猫にかかじられながらも猫飯を食べさせた。後は会津を応援するだけである。
決戦の午後8時。 『かかって来いや~、薩長肥土 !!』 とテレビをつけた。そしたら 『選挙速報』 と画面には出ている。。ん!? 八重の桜は。。と思い、ぼ~としていたら母親が、『八重の桜は7時過ぎからやってたよ』 と教えてくれた。。ぽか~んとなってしまった。。そしたら母親が 『立派に降伏してたよ』 とこれまた教えてくれた。。一歩間に合わなかったと嘆いた。。なんで早く教えてくれなかったんだ。。
選挙速報の馬鹿野郎~
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