『絶対景観男さん~』 とアナウンスで呼ばれのは留学のため旅発つ宮崎空港のロビーで事だった。なんじゃいな姉ちゃんと受付のすましたレディーの元に行くと、 『関西空港からサンフランシスコの便が12時間遅れます』 と軽~く告げられた。。その日の予定では、朝方に宮崎空港出て昼には関西国際空港へ着き、それからすぐにサウスアメリカン航空の飛行機にちゃちゃっと乗り、サンフランシスコ空港へ。サンフランシスコに着いたらサクラメント行きの飛行機に乗ってアメリカ人の迎えが来る予定だったのだが、いきなり予定が全部狂ってしまったわけだ。んな事を言われてもとは思ったが、出発前に言われたのだから、 『それじゃ~辞めっか。。』 孫悟空なみに軽くは諦めるという訳にはいかない。という事で不安だらけの出発となってしまった。気が付けば関西国際空港。。でやっぱり12時間の待ちぼうけ。。周りは宮崎での人生で5人ぐらいしか見た事がなかった外人さんだらけ。。早くも 『宮崎に帰りたい~』 とべそかきそうになっていた。。
待ちぼうけをするにもやることがない。銭もなければ暇を潰す物もなんも持っていないのでやることがない。ぱっと遠くを見れば本屋さんがあったので向かった。本棚には司馬遼太郎さん追悼フェアと書いてある。誰かいな。。大木凡人のオヤジさんか ? と写真を見て思ったりしたが、どうにもその本のタイトルに覚えがある。 『竜馬がゆく』 『国盗り物語』 『翔ぶが如く』 どれも聞いた事がある。ガラにもなく買ってみようかと一瞬だが思ったりしたが辞めた。銭がほとんどないのと、ちっちゃなリュック程度で留学したため、後で仕舞うのが面倒だと思ったからである。
アメリカでの生活が始まり、まずは語学学校へ通ったのだが3ヶ月後には暇になった。夏休みである。周りの人間は思い出作りに旅行などに行くのだが、こっちはすでに銭がない本物のホームレス。もちろん旅行どころではない。遊ぶことよりも食うことに必死である。よって学生ビザの分際でバイトに明け暮れるのだが、そんなおりに勝手に居候を決め込んだ韓国女の部屋に母親が 『竜馬がゆく』 を送って来た。最初は本なんて読まないよと思っていたのだが、脳裏に関空での待ちぼうけを思い出し、また日本語に飢えていた僕は、母親に義理もあったのだろう、とりあえず読んでみた。
これがめちゃくちゃ面白いのである。すらすら読めるし、幕末の歴史に詳しいわけでもなく、単に歴史の成績が良かったので歴史は好きという程度の僕でも、司馬さんの文章が髄脳にビンビン入ってくる。一気に読みほしてしまい、人生で初めて本を読んでじ~んと来た。それからというもの、どっかに司馬遼太郎の本が置いてないか調べまわった。あっさり大学の図書館に司馬遼太郎全集があることを知り、バイトと図書館とに通う日々が続いた。今考えれば、司馬遼太郎さんの本と出会っていなければ、今の自分はいないと思う。また僕の知識の半分ぐらいは司馬遼太郎さんの本から得ているといったら嘘であるが、少なくともその影響は大きいといえる。
聞くところによると、日本で一番出回っているのが司馬遼太郎さんの本だという。これほど日本人に愛された作家もいないであろう。僕は 『竜馬がゆく』 で司馬作品に触れて人生が変わったのだが、同じ 『竜馬がゆく』 を読んで人生変わった人がいる。武田鉄矢さんだ。愛すべき竜馬かぶれである。なんせ龍馬を勉強したいため、高知大学の文理学部を2度も受けて2度も落ちているから気合いが違う ! 数年前に放送された大河ドラマ 『龍馬伝』 では龍馬の師匠の勝海舟役をやっていた。依頼された際に 『龍馬を育てて下さい』 と口説かれて、その言葉に感激し引き受けたそうである。きっと龍馬かぶれ冥利に尽きた気がする。
多くの人々は勘違いをしている。 『龍馬がゆく』 ではなく 『竜馬がゆく』 である。なぜ 『竜馬』 なのか ? これには司馬さんが理由を述べている。司馬遼太郎が書いた坂本龍馬はフィクションであるからだそうだ。できる限りの資料を集めてそしてそれを司馬遼太郎さんが肉付けしたのが 『竜馬がゆく』 であるそうで、司馬さんもそれをわきまえて書いたそうだ。司馬さんの文章にコロっと騙されて僕は今では歴史に詳しい設計屋だし、武田さんは龍馬にかぶれて40年である。まったく罪作りな文章書きである。
僕の友人の女性は子供が二人いるのだが、子供らが全く本を読まないのでどうやったら読むようになるの ? と聞いてきた。あんたも本は読まないだろうが。。とは思ったが、一応 『竜馬がゆく』 進めておいた。今日の昼過ぎにその女性からメールが来た。 『この本おもしろい ! 』 と書いてあった。あまりにも面白いので寄る読み聞かせているらしい。。えっ、子供小さいの?と聞いたら6歳だという。。
ガキにはプリキュアの方が良いんじゃねぇ?と一応は進めておいた。
アメリカでの生活が始まり、まずは語学学校へ通ったのだが3ヶ月後には暇になった。夏休みである。周りの人間は思い出作りに旅行などに行くのだが、こっちはすでに銭がない本物のホームレス。もちろん旅行どころではない。遊ぶことよりも食うことに必死である。よって学生ビザの分際でバイトに明け暮れるのだが、そんなおりに勝手に居候を決め込んだ韓国女の部屋に母親が 『竜馬がゆく』 を送って来た。最初は本なんて読まないよと思っていたのだが、脳裏に関空での待ちぼうけを思い出し、また日本語に飢えていた僕は、母親に義理もあったのだろう、とりあえず読んでみた。
これがめちゃくちゃ面白いのである。すらすら読めるし、幕末の歴史に詳しいわけでもなく、単に歴史の成績が良かったので歴史は好きという程度の僕でも、司馬さんの文章が髄脳にビンビン入ってくる。一気に読みほしてしまい、人生で初めて本を読んでじ~んと来た。それからというもの、どっかに司馬遼太郎の本が置いてないか調べまわった。あっさり大学の図書館に司馬遼太郎全集があることを知り、バイトと図書館とに通う日々が続いた。今考えれば、司馬遼太郎さんの本と出会っていなければ、今の自分はいないと思う。また僕の知識の半分ぐらいは司馬遼太郎さんの本から得ているといったら嘘であるが、少なくともその影響は大きいといえる。
聞くところによると、日本で一番出回っているのが司馬遼太郎さんの本だという。これほど日本人に愛された作家もいないであろう。僕は 『竜馬がゆく』 で司馬作品に触れて人生が変わったのだが、同じ 『竜馬がゆく』 を読んで人生変わった人がいる。武田鉄矢さんだ。愛すべき竜馬かぶれである。なんせ龍馬を勉強したいため、高知大学の文理学部を2度も受けて2度も落ちているから気合いが違う ! 数年前に放送された大河ドラマ 『龍馬伝』 では龍馬の師匠の勝海舟役をやっていた。依頼された際に 『龍馬を育てて下さい』 と口説かれて、その言葉に感激し引き受けたそうである。きっと龍馬かぶれ冥利に尽きた気がする。
多くの人々は勘違いをしている。 『龍馬がゆく』 ではなく 『竜馬がゆく』 である。なぜ 『竜馬』 なのか ? これには司馬さんが理由を述べている。司馬遼太郎が書いた坂本龍馬はフィクションであるからだそうだ。できる限りの資料を集めてそしてそれを司馬遼太郎さんが肉付けしたのが 『竜馬がゆく』 であるそうで、司馬さんもそれをわきまえて書いたそうだ。司馬さんの文章にコロっと騙されて僕は今では歴史に詳しい設計屋だし、武田さんは龍馬にかぶれて40年である。まったく罪作りな文章書きである。
僕の友人の女性は子供が二人いるのだが、子供らが全く本を読まないのでどうやったら読むようになるの ? と聞いてきた。あんたも本は読まないだろうが。。とは思ったが、一応 『竜馬がゆく』 進めておいた。今日の昼過ぎにその女性からメールが来た。 『この本おもしろい ! 』 と書いてあった。あまりにも面白いので寄る読み聞かせているらしい。。えっ、子供小さいの?と聞いたら6歳だという。。
ガキにはプリキュアの方が良いんじゃねぇ?と一応は進めておいた。
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大人なんで本は読みましょう !
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