僕がアメリカの大学でびっくりしたのは教科書の分厚さだ。一つの科目の教科書のページ数は300ページを軽く超える。確か、アジア史の授業だったと思うが教科書のページ数が500ページを越えていた。もちろん全てを教科書から学ぶのではないが、とにかく本を読まされる。明後日までに指定した本を読んで、レポート10枚以上で提出なんて宿題は毎度の事出る。その本の厚みはもちろん300ページぐらい平気だ。しかし、それを読んでいなければ授業についていけないし、それに簡単に落第する事になる。その教科書は馬鹿高い。大体70ドルぐらいだろうか。だが買わねば、卒業はできない。
しかし、勉強したい人にはうってつけの教科書と言える。教科書一つ読んでいれば十分学識が身につくからだ。なので彼の国には塾がない。参考書のようなものもほぼない。そして小学校から大学まで飛び級制度なので、さっさか学位を取って稼ぎたい人は、その分厚い教科書を読んでさっさか卒業していく。何人もそんなさっさか進級してきた生徒さんとクラスメートになったが、彼らは本当にお勉強ができるお利口さんだった。もちろんテストなどで教科書意外からの問題などは、通常の学科ではでない。なのでその教科書に穴が空くぐらい読む。もちろん僕が選考していた政治学などは試験があって無いようなもの。日々のレポートで点数が決まるため、すべて教科書からとはいかないが。。
よく学校とは学問意外の事も学習する場と言われる。だが、たま思う。それって本当だろうか。集団になじむ事を大きな目標にするあまり、本来の学問の向上をおろそかにはさせていないだろうか。日本も飛び級を認め、そして教科書を分厚くする方がワクワクすると思うんだが、どうだろう。少なくとも勉強したい人間のための教科書や学校となるべきだと思うんだが。
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