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再建された大阪城天守。 |
昨日、工務店さんのホームページの作成でふと迷いが出たので、気分転換に昼寝でもしようと車でうろうろしていた。そしたらふと城でも行くかと急に思いたち、車を飛ばした。僕の地元の宮崎県木城町には新納院高城(にいろのいんたかじょう)という名城がある。名城と言っても江戸時代初期に、いわゆる一国一城令によって壊されているので、その城郭の遺構だけが残っているのだが、戦国時代の城の遺構は実戦的で面白い。この城の場合、木城町の調査では切堀(きりぼり)が7段構えであったらしい。しかし現在、僕が目視で確認できたのは3つだが、これがなかなか攻めにくい城だったのがよ~分かる。取り壊しをしたのは、まだ徳川家康が生きていた時代。よって戦国の気風が残っていたわけだで、切堀は残っている事から考えると、いずれ戦闘状態などになった場合には、すぐに使えるように考えていたのかも知れない。う~ん、なかなかやりよる。
日本には過去に25,000以上のお城があったことが確認されているそうだ。もちろんその中には江戸城や大阪城などの大きな城も含まれるが、これが城か!?って程度の大きさの城もある。これは時代によっても異なるのだが、城の役割は防御施設だけでなく、今で言う市役所的な役割があった事に起因する。なので、天守の無いお城や、石垣の無いお城がある。もちろんそちらの方が圧倒的に多い。天守や石垣があるのは戦国時代から。織田信長を待たねばならない。
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天守もどきから見る木城町。 |
現在のお城の事を言えば、江戸時代以前から当時のままで残っているお城は少ない。そのほとんどは昭和の時代に再建されたものが圧倒的に多い。どうやらお城にはブームがあるらしい。最初の城再建ブームは昭和初期。そして最後はバブルという金余りの時代だ。最初のブームの時には城再建の第一人者と呼ばれる人がいて、日本中の名城を再建していったと聞く。なので鳥羽伏見の戦いの混乱で焼けた大阪城や、西南の役で焼けた熊本城は当時の再建だ。当時の最先端技術を使い鉄筋鉄骨コンクリート造りとなっているのが多い。そして、その後の改修などでエレベータが付いていたりするものもある。大阪城にいたっては、15年前ぐらい前の改修で、阪神淡路大震災などの地震でも壊れないように補強されているそうだ。あの世で秀吉もびっくりだろう。最後のお城ブームだったバブル時代のは完全に金余りの結果できあがった。よって本当はそんなところにお城など無かったんじゃ。。と言うお城だってあり、今ではかえって迷惑がられている。
お城は一国一城令や明治の廃城令などでその多くを失った。一国一城令は徳川幕府へ反抗の意思をつむため。明治の廃城令は、もういらないから又は土地の有効活用がその本意らしい。しかし廃城も再建もちと手荒い事をしたもんだ。もちろん当時の人々も色々考えや思いもあっただろうが。残しておけば、色々な使い道だってあっただろうに。もちろん残ることによる弊害もあっただろうが。。
新納院高城の天守もどきの最上階のベンチに座り、うとうとしながらそんな事を考えた。そしたら、夕方になり急にどでかい音でサイレンが。。夕方5時にはサイレンが高城から鳴るのを忘れていたのだ。。おかげでまだホームページは触れていない。。
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