現在宮崎県は西都市にある工務店で、主にパソコン関連の仕事をしている。本当は本職であるホームインスペクションの仕事をしたいのだが、だがお仕事が忙しく出来ていない。う~ん何とかならんもんんか。。そんな事を考えながら事務所を出た。車で帰っていると、隣町の木城町の山並を見えてくる。これが疲れた僕の脳みそにちょうど良い。僕は昔から山好きだ。山には色々な形があり、僕は飽きない。険しい山や、街を覆ってしまうような山。これは僕が山の近くで育ったからかも知れないが、『ふるさと』という童謡を聴くと、故郷の山を思い浮かべてしまう。しかしちょっと残念なのが、宮崎の山は杉や檜だらけという事。そこさえなければ、宮崎の山は本当に雄大で美しいと思うんだが。。しかし、盆地に住む人にはちょっと違う目線があるようだ。昔、宮崎県は都城に住んでいた。都城と言えば宮崎市から車で一時間ぐらいの盆地にある。仕事の先輩が、『俺は海が好きだ!山なんて何にもないじゃん、山しかねぇし。。』 見たいな事を言われてた。そうかな。。と思いながら、『都城市は盆地なので、都城の人はそう思うんですかね?』 と聞いたら、『山には水着を着ているやついるか?』 と言われ、納得し、この人について行こう!と思った。。がしかし、水着は水着、山は山だ!男には譲れない一線という物があるんだ。
杉や檜の針葉樹林はどこまで行っても刺々しく、そして同じ色に僕には見える。商売なんだからしょうが無いとは思うが、やはりちと寂しい。そんな事を考え出したのは僕が京都に住んでいる頃だ。京都の四条通りからは八坂神社の裏山(名前は知らん。。)が見える。その山が昔から人の手が入っていない、広葉樹林で、それはそれは美しい作りとなっている。僕は京都の四条通は京都らしくないので、あまり好きでは無かったのだが、その山をぼんやり見つめるのが僕の密かな楽しみだった。
また損害保険の鑑定人として仙台へ東京から移動中の事。東北の山々を見つめて新幹線で移動したのだが、この山並みも美しい。東北は昔からの空き地、みたいなのがあるらしく、家々が点々としていて美しい。その隣や裏には綺麗な里山が残っているのだが、この山並みがまた抜群の配置で僕にはたまらない。山も杉や檜のみで構成されているのではないので、どことなく山が生きて見える。
東北や京都の山が広葉樹林で覆われ、宮崎の山は針葉樹林で覆われている。前者が生きた山に見え、後者が死んだ山に見える。そんな気がするのは僕だけなんだろうか。。
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