秋である。秋のど真ん中である。僕らが中学生の頃は、枕の草紙と平家物語の始めは必ず暗記をせねばならんかった。なので、ひぃひぃ言いながら暗記したものだ。おかげで一時期、清少納言より紫式部派になってしまうところだったが、大人になり清少納言の言葉がしみてくる。
秋は夕暮れ。
夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どこへ行くとて、
三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。
まいて、雁などつらねたるが、いち小さく見ゆるは、いとをかし。
日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言うべきにあらず。
実に素晴らしい。よく風流と言うが、実際日本人がどれほど風流を現代に残しているのかは知らないが、やはりこの清少納言の言葉はしみる。僕は風の音、虫の音など、はた言うべきにもあらず、これが良い。
昔から日本人は月に親しんできた。明かりの少なかった時代には月の明かりはさぞかしありがたいモノだったろう。その証拠に現存する建物には、明らかに月を見る事をコンセプトに作られた建物が実は多い。それは桂離宮だったり、伏見城や銀閣寺が有名だ。その多くは、庇を小さめに取り、そして高台に作られるか、もしくは、広い庭園に作られてきた。特に銀閣寺を作った足利義政の執念は狂気に近い。
現在の銀閣寺は黒漆塗りの渋い建物だが、創建当時はどうやら違うらしい。どうやら白い建物だったようだ。壁がガラス質の白土が塗られていた。またその土には料理でも使うミョウバンが混ぜられていた。これを土に混ぜていたの上に塗ると、光に反射して光るそうだ。なので、池に映った月の明かりが反射し、建物自体も反射するので夜は建物自体が明るかっただろうと言われている。
ではそのキラキラ銀閣寺でどのように月を愛でるかと言えば、これまた凄い。まず1階で月が山から昇って来るのを楽しむ。やがて月が高い位置になると、庇が邪魔で見えない。よって2階に上がり、池に映った月を愛でるのだそうだ。池の中程には丸い月の形をした岩があり、池に映った月の光はその岩の月と重なるんだそうだ。不必要に芸がに細かい!政治的には無能と言われた足利義政だが、風流を極めた人だと言える。
また桂離宮も凄い。京都市にある日本最高峰の建築物である桂離宮のある建物は、南東29度の方向を向いている。これは、この建物が建てられた1615年の中秋の名月の出た方向と完全に一致しているそうだ。さすがである。予約を取っても半年後にしか入れんだけはある!
僕の仕事は建築デザイン屋。宮崎の田舎で必死に設計している。いつかは本物の日本建築を極めた建物を作ってみたい。日本建築とは僕が思うに、こういった月を愛でるような考えを持ちながら作るべきものだと思う。決して、畳があれば日本建築と言い張れるものでは無い。少なくとも、それでは色気はない。
良かったら、ご協力下さい。
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