奈良時代の歌人である山部赤人が、『田子の浦に、うち出でてみれば白妙の、富士の高嶺に雪は降りつつ』と呼んだ田子の浦から富士山を眺めると、煙突や煙、工場の塀に広告だらけだ。また京都にバスで降り立てば、日本の代表である古都京都の駅ビルの大きさに驚愕するであろう。また、その街並みは京都以外の人々が思うほど京都ではないのは確かだ。また国立公園などに行けば、山の上には送電線が幾重にも走っており、それらを意図的に見ないような努力をしなくてはその景色を楽しめはしない。すこし良さげなリゾート地域に行けばホワイトハウスのような家や、カレーマルシェのような地中海風の家が建っている。それらを見る度に僕はセンスを疑ってしまう。
先ほどかつての日本は美しかったと書いた。だが昔の日本人が景観を美しくしようと努力して町並みが美しくしたかと言えばそうではない気がする。富士見坂と呼ばれる坂がある。今は富士山は見えないので有名だが、現代の東京にはそのような坂が残っている。実は東京の街路の多くは、江戸時代から街路の延長線上に富士山を眺望できるように作られていた。では当時の人々が富士山の景観を楽しむためだけに、このような街路を作ったかとえば違うだろう。当時はもちろん車もないので交通の便などの問題はそれほど考える必要は無かっただろうし、建物もお侍に怒られるので大きい物は作れなかった。当時、お侍もおらず現代のような高度の建築的な技術を持っていたら、やはり現代のような富士山が見えない富士見坂となっていた気がしている。
日本の景観が著しく悪化したのは戦後のことである。戦後の経済成長第一主義、効率優先、機能優先主義の考えが基本となっている。現代以前は文化人などがそのパトロンである有力者などに意見を具申し、その有力者が町並みの基準を作り上げていた。なので町並みが美しければその有力者の評判も上がるという仕組みが出来上がっていたわけで、それなりの景観美が担保されていたのだと思う。
戦前の都市計画法の中には美観地区制度というものがあった。戦後の日本は法改正を繰り返し、この制度を骨抜きしてきた。そして景観の観念がない建築基準法や都市計画法の策定も景観劣化に手を貸してきたと言って良い。経済が悪くなる度に法改正を繰り返し、その度に建物の高層化が進んだのは有名だ。欧米などが美しく見えるのは、早くから歴史的な建築や景観保護の法律が制定され、所有権に対する規制が入っているからである。またその景観に対する意識は非常に高く、建築は単なる財産権の行使ではなく、景観に影響を及ぼす公的な行為であるという考えが浸透している。日本に景観法ができたのは2004年の事である。欧米と比べ遅すぎる。よって景観への意識はまだ建築業界はもとより、一般の市民には浸透はしてはいないのが現状ではあるとは思う。
以前、民主党が『コンクリートから人へ』という事を提唱した。僕はこの考えが嫌いである。コンクリートとは公共工事の事だと思うのだが、公共工事とは将来の日本人への投資だ。投資を辞めて現代へ生きる人々へお金を入れるだけでは、将来の日本人へ申し訳ない。だからといってコンクリートが良いとは全く思わない。建設や土木業界を食べさせるだけの公共工事ではなく、将来の日本人へ誇れる国にするための公共投資であって欲しいと思っている。
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