どうも箒で落ち葉や芝などを集めていると僕は集中力がぐんぐん増すようで、仕事に詰まったら箒で庭を掃いたりしている。僕がやっている設計という仕事は、経験も大事だがひらめきがとても大事なお仕事である。間取りなどのプランを練る場合は僕は紙の上に鉛筆でラフプランを書き殴るのだが、必ずと言って良いほど壁にぶち当たる。単純なプランはすぐにきるのだが、家主さんが希望しているものやキラリとしたアイディアが出ないのだ。紙の前でじ~と考えてもアイディアが浮かばない時はどんなにあがいても浮かばないものである。だがさすがに紙の前で数時間考えても出ない時は諦めることにしている。大抵は集中力は落ちてどうしようもないので、庭に出て掃除をはじめる。すると不思議なモノで、頭がリセットされるようで新たなアイディアが生まれる事もある。もちろん出ない時もあるが、少なくとも集中力はアップするようである。
よくよく考えてみると、日本人ほど竹箒で掃除する人々もいないと思う。もちろん外国の人々も掃除はするだろうが、日本人ほど掃く人々もいないのかも知れない。やはりこれは神道と関係があると思う。箒で掃くという行為は穢れを払う行為でもあるからだ。考えてみるといい。僕ら日本人は掃かれていない日本の神社やお寺は美しいと思うだろうか。きっと多くの人々は美しいとは思わないはずだ。仮に海外で箒で掃く人を見て、この人はいい人だと外国人が思うかと言えば、日本人ほど思わないのではないだろうか。実際僕がアメリカに住んでいた時に、箒で掃くアメリカ人はあまり見た記憶がない。大体はメキシコ系の人々がウォークマンを聴きながら庭掃除をしていたが、やはりそれは雇われてやっているという感じがプンプンしていた。やはりこれではいい人には見えないものである。竹箒で掃く時は、やはり気合いを入れて掃く日本人の姿が美しいのだと思う。
いずれ僕は設計事務所をかまえようとは思っている。そんな時はやはり朝方には竹箒を担いで周りの道路を掃除しようと思う。街は綺麗なるだろうし、それにこちらも集中できる。またいい人に見えれば仕事も増えるだろう。
僕のエロ筋の友人が、巫女さんが竹箒を持っているとうっとりすると言っていた。何言ってるんだと思っていたが、最近彼の深みが分るようになってきた気もしている。年をとったからだろうか。。
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