銀行までの行く途中に僕の町の商店街がある。しょっちゅうその商店街へ行く僕ではないが、来る度に思うのは『相変わらず流行ってないな~』という事だ。実にゆるい。。ゆるすぎる。。欲しい物が1つも売ってなく、そして発展する意思さえ感じられない。。う~ん。。これでええんかいな。。
僕の町の商店街は宮崎県内ではがんばっている方ではあるが、典型的な田舎の商店街である。客が入っているのを見た事がないナウイ婦人服屋や、エーコープより品揃えのわるい靴屋さんなどがある。いつものことながら、どうやって食べてるんだとこちらの方が心配してしまう。だが最近ではそれではイカンと町中に音楽を流しはじめた。地元のアマチュアバンドが作ったアコースティックな音楽である。これまたメリハリのない泣きたくなるような音楽である。聞いているだけで憂鬱になりそうだ。もちろん町のためを思ってやっているのは分っているが、僕などは敬遠してしまいそうになる。実際、町中で若者を全くと言ってよいほど見ない。。
だが飲食店は多い。と言うのも僕の町の役場がその商店街に隣接しているからである。宮崎の田舎の民間企業の給料と言えばもちろんだが安い。20万を超える給料を貰う人はエリート扱いである。なのでみな飲みに行けるわけではない。だが公務員さんらはしっかりとボーナスもでるし、彼らは田舎の悲しさで地元業者との懇談会などがやたらと多い。なので飲み屋さんらはやたらとある。別にそれが悪いとは言うつもりはない。だがそれだけの商店街が流行るかと言えば違う気がする。
ふと我が町の商店街の将来を考えた。町の中心である商店街には後継者はもちろんいない。お店の店主さんらの平均の年齢は50歳。あと20年もすれば町の中心のお店らはほとんど消えるだろう事は容易に考えられる。もちろん飲みの文化があるので飲み屋さんは存続するであろうが、それが本当に町と言えるだろうか?考えただけでも寂しいと思う。
僕の知り合いの女性が新築の相談に来ている。その家は町の商店街の真ん中、そして役所の真ん前にあるお店だ。そこを潰して終の棲家にと考えているとの事である。なので僕は、『辞めませんか?』と言っている。廃れたとはいえ、町の中心を民家にするのはもったいないからだ。町の中心であるので貸店舗にしたら十分利益があがるような気がするからである。まあ止めたら僕の儲けは全く無いのだが。。
僕の町には若者(大抵は40代)の会がある。そこに僕はたま~に顔を出すのだが、その度にこの町を発展させるためにはどうすれば良いのかと意見を求められる。僕の町の商店街は小さな路地が多い。なので僕は空きスペースに若い人々が店を作れるようにすれば?と提案している。車の駐車場などは商店街の周りに沢山ある。なので歩いて買い物が出来るようにすれば楽しいんじゃないだろうか。と若い人々(40歳ぐらい。。)と模索している。若い人々がチャレンジできない商店街ではやはり廃れるものであるからだ。ありがたい事に僕のような若造の意見を皆さん賛同してくれているのはありがたい。だが、そこは飲み屋でのお話。。結局は次の日はみんな忘れているのが悔しくてならない。。
『街というものを定義するとすれば、若い女性がおしゃれをして出かけたくなる場所』と司馬遼太郎が書いていた。なるほど僕は納得する。商店街と言っても厳密に言えばそこは店舗兼住宅。人が住んでいる。町の発展のために、そこの住人をどかすのはもちろん現実的ではない。だが老いた町にするのはどことなく悲しい。だがその場所に住んでいる人々が儲けがでるように仕向けるべきだと思っている。
そうでもしないとあと20年後には、僕の町は死ぬと思う。
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