”クラムボンはわらったよ。クラムボンはカプカプわらったよ。” という宮沢賢治の 『やまなし』 という児童小説がある。たしか小学生の頃だったか、そんな劇も学校で見させられたし、教科書か何かで読ませられた。だが、最初から最後まで僕には理解できなかった。クラムボンは誰なんだ。。かぷかぷ笑うってなんなんだ。。そしてなぜ殺されたんだ。。やまなしって何なんだ。。僕が食べている梨とは違うっぽい。。スっぱいんか?僕の発達障害のローテクな脳みそでは、なぜこれが教科書に載るほどのものなのか、しゃ~ぱり理解できなかった。だが困った事に、この 『やまなし』 の作者はどんな気持ちでこれを書いたのかという、正解って一体何なんだっていう問題がテストで出た。答えはみんな適当にありそうな事を書いたようで、みんな正解なのに僕だけペケだった。僕が 『お金がないから、バイト感覚で。。』 とパンチの効いた答えを出したからだ。宮沢賢治だから貧乏に決まっている。なのできっと借金取りに追われてひぃひぃ!と思った僕がアホだった。。
明治の初め、小学制度が始まった頃の事、明治政府の役人さんらは子供らに国語を教える意味が理解できなかったようだ。当時の役人らは、もちろん江戸時代生まれ。国語じゃなくて論語とかでいいんじゃない?って事になった。彼らは寺子屋などで 『子曰く、過(あやま)ちて改めざる、是れを過ちと謂う。』 などと反復していたクチだ。そう思うのは当然だろう。しかしお雇い外国人が 『国語とは民族そのものであり、学問の中でも一番重要だ。学校で教えないのはおかしい』 なんて事を言われて、方針が変わったと聞く。明治という日本の青春の時代の事だ。国家や民族という言葉を出されたら納得してしまうしかない。お雇い外国人がいなければ、ひょっとして僕らも 『子曰く。。』 などと声を揃えて言わされていたかも知れない。
当時の日本語はしゃべり言葉と文章言葉は別であった。もちろん宮沢賢治が書いたようなポエムっぽい小説なんてありはしない。宮沢の前には諭吉あり、漱石ありそして子規がいた。彼らのその写生的な文章が今の日本語の分岐点となり、その積み重ねで、昭和の初めに 『クラムボンはわらったよ』 となる。仮に 『子曰く。。』 などと連呼していたら、礼儀は正しくなったかも知れないが、クラムボンは生まれなかったんじゃないだろうか。
そんな事が分かっただけでも年を取ったかいがあるというもんだ。これを書いた宮沢賢治って人は素敵だと思う。 『かぷかぷ笑ったよ』 という表現などは、僕の頭をぐるぐる回したって出てこないし、作れはしない。もちろん相変わらずクラムボンって何?とは思っているのだが。。
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