2013年5月7日火曜日

ツバメが巣を作る家は、良い家なのさ

   現在、宮崎県は高鍋町のモスバーガーでお仕事をしている。先日も書いたがお見積もりの作成のためだ。夕暮れ時に実に憂鬱な作業である。さすがに連日ハンバーガー屋さんでお仕事していると、同じ店には入りがたく、本日はモスバーガーさんでお世話になっている。さあ仕事をしようかの~と、国道を走る車を眺めながら煙草を吹かしていると、背中裏でぴぃ~ぴぃ~何かが泣いてやがる。何ぞな ! と抜き打ちに構えてふり返ったらツバメさんだった。モスバーガーの店の軒裏にあるライトの上に、ツバメが巣を作っていて小鳥が親鳥から餌をもらっているじゃないか。実にのどかである。ファストフード店にはそぐわないとは一応は思ったが。

   ツバメが低空飛行すれば雨が降る。僕が小学校の時に覚えた数少ない知識の一つだ。理科系がウルトラ駄目な僕は、雨が降るとツバメも憂鬱になるのだろうと思っていた。だが中学の理科の教師をやっている、桃尻が唯一の自慢の女教師が教えてくれた。 『餌の虫が雨が近づくと水分で羽が重くなるので高く飛べない。だからツバメも低く飛ぶの ♡ 』 まあ、桃尻が言うのだから本当だろう。。また聞くところによると、ツバメの多くは日本で繁殖し、台湾やフィリピン、遠くはマレー半島などで越冬するそうだ。だが中には日本国内で冬を越すツバメもいるらしく、それらは 『越冬ツバメ』 と呼ばれるようだ。きっと 『ひゅ~るり~ひゅ~るり~らら~』 と泣いている気がする。聞き分けのない女のような気がする。。

ツバメマークはカッコイイ ! 
   僕の家は宮崎のど田舎にあるので、倉庫の天井などにツバメが毎年この時期は巣作りして、小鳥らがぴ~ぴ~泣いていた。だが最近は父親が糞がケ汚い ! とその入口に木戸をつけたため、来なくなってもうた。。というより来れなくなった。。僕から見ればそれは胸くそわるい。ツバメさんらが可愛そうじゃないか。。まったくそんな風流も解さない父親に腹が立つ。

   だがツバメの糞害があるのは確かだ。昔の民家は開けっぱの家が多かった。土間のキッチンの上部の梁の上にツバメが巣を作っていたりして迷惑を被っていたところもあったと聞く。現在ではエアコンなどのスリーブ(穴の事)やシャッターの上部に巣を作り、そこから糞が落ち家を汚すケースが多いようだ。ツバメに巣を作らせない方法は色々ある。一つはツバメの天敵であるカラスを模したモノを置くことだ。黒いビニールでも良いし、アルミホイルのヒラヒラしたものでも良い。またツバメが巣作りしそうな場所を滑 (すべ) る素材でコーティングするのも良い方法だと言える。

   だが、ツバメさんは昔から縁起が良い鳥と呼ばれている。ツバメが来なくなると不幸があるとも言う。なぜ縁起モンなのかと言えば、ツバメは農村では田んぼの害虫を食べてくれる益鳥であった事だ。昔はお米は銭だ。そりゃ大事にしたに決まっている。また昔の商家でもツバメを大事にしたそうだ。ツバメはカラスなどの外敵から子らを守るために人家の軒先などに巣を設けるわけで、お客らが来なくなると自然とツバメが寄りつかなくなるそうだ。遠いところはマレー半島あたりから来るツバメは、それは住環境が整った場所に自分の巣を作りたがるに決まっている。昔も今もそうだが、良い家などは太陽や風の方向を気にしながら設計されている。そんな住環境が整った家にはツバメが巣作りするのは当然と言えば当然だ。ツバメが好む環境は人間にも良い住環境の家と言えると思う。湿度や空気の流れとしても風水的な意味合いでもだ。ツバメはそんなふうに日本人と暮らしてきた。まあ、小鳥がぴ~ぴ~泣いているだけでも、家族が和やかになると僕は思っている。

   糞の被害があるならその巣の下に木箱などをうまく設置してあげれば良い。これが段ボールなどだと意匠として良くはないし、それ一枚があるだけで部屋がチャっちいなる。。自分で色合いなどを考えながら作ったら、それはそれで楽しいと思う。縁起モンである。大事にせなイカンのだ。きっと子供らも喜ぶだろうし、パパの腕の見せどころだと思う。僕の爺さんが糞よけを作ってくれた。そりゃ嬉しかったもんだ。

   ふとこのブログを書いていたら、店の関係者らしい女性が僕の席の前でお話をされていた。これが長身でごっつい美人だった。僕ら宮崎県美人協会でいう 『風水的に美人 ♡ 』 な方だった。分りやすく言えば爽健美茶的な美しさの方の事だ。こんな方がいるからツバメも巣を作ったんだろうと鋭い僕は考察した。

   ツバメも隅にはおけんの~♡

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さあ、お仕事がんばろう。

2013年5月6日月曜日

七面鳥と、猪に狸に鹿

   今日は、祝ゴールデンウィーク最終日だ。周りが休みの中、僕だけ仕事をしているとどうも祝いたくなってしまう。なんでゴールデンウィークに朝4時まで仕事しているのかといえば、先日も書いたお見積もり作成のため、また某紳士服工場の図面作成のためである。実に憂鬱なゴールデンウィークであった。両親らは息子がお家で仕事なのを良いことに、婆さんの世話を僕に押しつけ佐賀に有田焼を買いに旅行に出かけるし、空気を読まない友人は酔っ払って電話してくる。実に楽しくない。だが仕事も一段落した今日の夕暮れ、母親に親戚のお家に買ってきた土産の配達を頼まれた。どうやら茶碗らしい。親戚の家まで約10キロの道のり。車で行くのは簡単だが、せっかくの世の中は皆が浮かれるゴールデンウィークである。自転車で行くに決まっているじゃないか ! とサドルにキュートなヒップを乗せ家を飛び出した。

   僕が住む町は宮崎のど田舎にある。トラクターが我が物顔で走り、車の運転速度は前方を走る原付ばあちゃんと同じスピードとせねばならないという暗黙のルールがある。そんな町には幅員 4m ほどの道路があちらこちらにある。そんな田んぼ道を都会派のナウイ僕は、今様のスポーツ自転車でブイブイ転がしていたら前方に何かうごめいている。よ~く見たら七面鳥じゃないか。。いくら田舎だとはいえ七面鳥などを拝む機会などはまずない。。それも10羽ほどいやがる。。その七面鳥が幅員 4m の道路を通せんぼしてやがるんだ。。それも人間慣れしているのか僕を避けたり逃げたりなどはしない。七面鳥の分際で肝がスワってやがる。。ここがアメリカならば手持ちのサイレンサー付きP-229で仕留めて家に持ち帰り、レバーとアボガドとニンニクでディップを作り、蒸した七面鳥でフレンチなパーティーするんだが。。 『悪さをするには他の町内で ♡ 』 という昔からの掟ぐらいはもちろん僕だって知っている。まあ、こいつらもサンクスギビング (感謝祭) までの命よ :D と哀れに思い、動物愛護精神旺盛な僕は、七面鳥に蹴り入れて何とかその場所を後にし、親戚の家へたどり着いた。

   親戚のお家は鉄砲うちをやる。農協に勤めながら山に猟に行かれる。なのでおじさんが 『これもって行け~』 とシシ肉をくださった。シシ肉は都会の方々は苦手な人もいるかもしれないが、田舎育ちの僕には超美味。大根やにんじん、こんにゃくにゴボウなどの野菜を入れ、濃い味噌で味付けしたシシ鍋 (ぼたん鍋の事) などは、本当に田舎に生まれて良かったと思える一品だ。また狸肉の塩漬けを頂いた。狸の肉は普通には食えない。臭いからだ。また量もそれほどあるわけではない。これは食用ではなく、薬になると僕の田舎では昔から信じられている。何の薬になるかと言えば、蕁麻疹(じんましん)だ。か弱い僕は幼い頃によく蕁麻疹になった。そんな時には、婆さんが冷蔵庫から狸の肉 (きっと道路で死んでたやつ。。) の塩漬けを1㎝ぐらい持ってきて食わされていた。だがどんな塩を使っているのかは知らんが、凄~く塩漬け。。とても辛くて辛くて蕁麻疹のかゆみなどすぐに引いていく。。と言うよりかゆみを忘れる。。ありがたく山の幸を頂いたのだが、気が付けば既に18時過ぎ。今日の日の入りは 18:58 だ。なので家路を急いだ。暗いと恐い恐いからだ。

   びんびん自転車をこいで帰っていると、なにやら前方に妙なもんが動いている。。頭は鹿でが2足歩行。。でよったなモノノケ ! 身構えたら近所のオヤジだった。背中に鹿を背負っている。。いくらここが宮崎の田舎だからって鹿を背負っている人などはまずは見ない。どうしたの ? と聞くと取れたのよ。。鹿が。。う~んこの時期。。鹿猟はできるんかな。。などとちょっと思ったのだが、 『肉もってけ ! 』 と言われたので狩猟の時期などのややこしい事は考えないことにした。何度かはやったことがある解体を手伝い、これでもか ! というほどの鹿肉を頂いた。鹿肉は臭いがきついため昔はあまり食べなかったと聞く。だが現在はその鹿肉を薄く (ほんとに薄く) スライスして、生姜醤油で刺身としていただくとこれが美味。特にビールなどのさかなにはちょうど良い。

   って事で現在酔っ払いとなっている。お仕事せなイカンのだが、目の前には鹿肉がならんだら酔っ払うしかない。母親が明日のためにシシ肉を煮込んでいる。実にご機嫌である。

   う~ん茶碗一個でなんか得したゴールデンウィーク最終日だった。

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明日から仕事、がんばりましょ~

2013年5月5日日曜日

神社は町の基軸であ~る

   現在、宮崎の佐土原町にあるマクドナルドでお仕事をしている。今週末に入札があるためその見積もり作成をせなイカンからだ。また以前にも書いたが、紳士服工場の図面作成作業が順調に遅れているからでもある。よってゴールデンウィークなどはどこ吹く風。ここはみんな~のマクドナルドなのでゴールデンウィークをエンジョイされているご家族だらけ。そんな中、青焼きの図面と業者さんらから上がってきた見積もりをデンっと机に置き、ガッツリ仕事している。実に憂鬱だ。気を紛らわせようと外で煙草を吹かしていたら鎮守の森が見えた。こんな町中 (僕から見てという意味で。。) にも鎮守の森があるんだと思った。

   僕は神社が妙に好きだ。というのも、日本の建物は戦後にずいぶん伝統的なカタチを捨てたのだが、神社だけは昔からのカタチを残しているからだ。昔と言っても100年ほどの昔ではなく1000年程度の昔を指す。神社建築は伊勢神宮の式年遷宮 (しきねんせんぐう) のように昔からのカタチをそのまま残す建物である。なので神社にもよるが平安鎌倉の時代のカタチを愛でる事ができる数少ない建築と言える。

   いわゆる鎮守の森は、その神社の式年遷宮のための森である。今では限られた神社のみ、その伝統が残っているが、昔は結構な神社で式年遷宮をやっていた。その遷宮の木材を確保するために作られたのが、鎮守の森だ。だが色々な理由で式年遷宮を早い時期で辞めた神社も多い。だが様式として、神社建築と鎮守の森はセットで考えられていたのだろうと思う。なので大きな森が今でも残っている場所が多い。もちろんその森は風から建物を守る役割もあるし、近隣住民が勝手に焚き物泥棒を働く場所でもある。また切ったら罰当たりそうなので、森はなくならなかったのだろう。日本人はお城や御殿などはその役目を終えたら、さっさか他の建築物のためにその木材を流用する癖がある。鎮守の森や神社が残っていること自体、奇跡だと僕は感じたりする。

   だが、どれほど日本人が神社を大事にしてきたかは微妙だ。一応大事にはしてきただろうが、それが外国のように激しい宗教意識としての神社ではなく、村の寄り合い的な場所だった気がしている。明治期に入り国家による神道が押し進められ、廃仏毀釈のような日本の歴史では特異な一神教的現象もあったが、戦争に負けた昭和20年以降はもとの寄り合いとしての神社に戻った。モンゴル人が元王朝を築いたが、ちょっと調子が悪くなったら全てを捨てて遊牧民に戻った現象と似ている気がせんでもない。

   日本の村々は神社を中心に作られたのではない。もちろんそんな地域もあるが、ほとんどの地域では川の近くに水田ができ、その水田を扱う人間らが住む村々が出来た後に寄り合いとしての神社が出来上がった。その後に鎮守の森が出来上がる。寄り合いのための神社でもあるし地域の要としての神社の登場でもある。

   もちろんお寺にもそんな理由で出来たお寺もあるだろう。だが仏教は地栄えの宗教である神道と違い歴史は浅く、その土地に根を生やしたような宗教とは言いがたい。純粋に寄り合いとしての施設して使われてきたとは感じがたく、どちらかと言えば現世利益の臭いがきつい気がする。もちろん仏教は厳正利益のためではなく、来世のための宗教と言えるだろうが、そのあたりは日本人には向いてはいないようだ。寺内町などは宿泊施設や飲食店などの商店街がひしめき合っているのは、どちらかと言えば商売としての施設とどこか日本人は心の中で規定している気がしないでもない。

   現在は神社は寄り合いの場所ではなくなった。バブル時代以前ぐらいまでは大人達は神社で酒盛りをやっていただろうし、子供らが遊ぶ場所はもっぱら神社だった。寺なら酒盛りしてたらなんか足のないのが出そうだし、子供らだって墓の周りでは遊んだら坊さんに怒られそうだからだ。だが現在ではその習慣はほとんどなくなった。立派な公民館が各地域に出来たし、以前よりも商売たくましい飲食店がその場を貸している。なので神社はすたれる一方で、ほったらかしの鎮守の森も野良猫の住み家と化してしまっている。

   もっと神社を自然に使えるような社会の方が日本人の型としては美しい気がする。現在元気がある神社は特異なお祭りや伝説を持っていなければならず、それらの宣伝のためにテレビ CM を打つなど中々たくましい。そうでない神社は存在価値さえ薄くなっている。だがせっかく地域の中心の場所にある空間を使わない手はないと思う。昔は祭りを作る際は神さまがその中心だった。だが最近は町おこしに一生懸命なのだが、商売人中心でそれが町の形成に本当につながるのか僕にははなはだ疑問だ。町おこしは商売のための町おこしだけなんだろうか。違う気がする。

   祟りモノにさわらないようにぽつりと残る神社を見ながらそんな事をいつも考えている。地域のつながりとしての神社はもっと使われて良い気がする。僕は神社は究極の公共物なんだと思うからだ。

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2日もサボりました。。忙しいんです。。

2013年5月2日木曜日

水疱瘡の姪っ子を上手投げ

   明日からゴールデンウィーク後半戦が始まる。だがお仕事を頂いたのでやらねばならぬ、明日までにだ。僕が一応所属する工務店では西都市の紳士服縫製工場の改修工事をやっているのだが、現在ある図面が昭和50年に作られたいわゆる 『青焼き』 なので、その図面をCAD化する事を命じられた。ボロボロで読めないからだそうだ。読めないなら図面も書けないじゃん。。などと思ったが。。まあ、これもお仕事。大人なんだからぶ~ぶ~言ったってしゃあない。本当は会社が近くなのでそこで仕上げたかったのだが、爺さんが昨年の今日に死んだので、だれかが家に来る可能性がある。なので仕事を家に持ち帰った。明日はいつもデイケアに預けている婆さんが、土曜日のため14時ぐらいには帰ってくる。両親は佐賀県の有田焼を買い付けに旅行に行くので、最低でも13時ぐらいまでには図面を提出し、婆さんの世話をしなければならない。とてもいそがしいのだ。だが、ゴールデンウィークなので叔母が遊びに来た。それも孫連れだ。子供らはとても僕になついているので、 『おじちゃんに会いたかったの~』 などと言ってハグしてくる。子供らに 『仕事があるからあっち行け ! 』 などとはもちろん言えない。なので思いっきり相撲をとってあげた。そしたら帰り際にその娘が、 『水疱瘡だけど来て良かった ! 』 と言った。。来るんじゃねぇ~よ。。がっつり四つになってもうたじゃないか。。僕は水疱瘡になった事がないのだ。

   聞くところによると、僕は水疱瘡やおたふく風邪、また麻疹?など子供のうちにかかっていた方が良い病気に一度もかかってないらしい。もちろん病気なる努力はした。やれ近所の子供に 『水疱瘡入りました~』 という連絡があれば、ほとんど見知らぬ他人の家でも出向き、病気が感染されるよう最善の努力をした。だが未だにかかっていない。だがさすがに齢30を超えたこの体。さすがにそんなお子ちゃまの病気を今かかると何となくビビる。。

   というのも自分の上司だった人が酒の席で教えてくれたのだが、知り合いが30歳ぐらいでおたふく風邪になったそうだ。子供の時のおたふく風邪はそうでもないらしいが、その方は熱が40度を超えて。。きゃん〇まが。。バレーボールぐらいになったと言っていた。。女性には分らないだろうが、きゃん〇まがバレーボールぐらいってのは想像しただけで痛そうだし、とてもビビル。。まあその時は、 『西郷さんみたいで良いじゃないですか~』 なんて軽く返していたが、内心股ぐらを押さえたくなる衝動に駆られた。考えるだけで痛いのである。それ以来、おたふく風邪が流行っていると聞いただけで町中を歩きたくなくなる。

   姪っ子を連れて来た叔母に言ったった。 『水疱瘡になっちゃうじゃないか~』 そしたら叔母は 『アロエかオロナインH軟膏を塗っとけば治るっちゃが。。』 と答えた。治るわけないじゃん !

   自分のお肌が心配だ。。

   嫁入り前なのに。。

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2013年5月1日水曜日

リフォームする前には耐震診断をした方がいい

   僕はひい爺さんが建てた昭和の部屋で寝泊まりをしている。1階はコンクリートブロックでその上部に木造の僕の部屋があり、そこに寝泊まりをしている。もちろんサッシなどは木製でガラスなどは昭和の空気がプンプンしている。施工された年は昭和5年と記載されていたとても古いお家だ。以前僕の家を改装した時に大工さんが僕の部屋をみてくれた。大工さんが言うには、このコンクリートブロックには鉄筋が入っているから地震が来ても大丈夫だよと言っていた。僕は 『あ~、そうですか~』 と応えてはみたが、心の中では 『こいつ何にも知らんのう~』 と嘆いてしまった。鉄筋が入っているかどうかなどは機械で調査しなければわからない。勘で応えたようだが、昭和5年の建物に、東京などならいざしらず、宮崎などのど田舎の建物には入っていない可能性の方が高いと思う。一般の人々は大工さんの勘は優れているというステレオタイプがあるだろうが、僕は大工さんの勘だけで家を建てる時代ではないと思う。

   僕は耐震診断もする。耐震診断は主に昭和56年の6月以前に着工した建物を対象として調べることが多い。というのも補助金がでるからだ。昭和56年6月以降の建物には補助金がでないため、自己負担となる。宮崎県の場合は一律6万円で調べるように決まっている。そのうち補助金が5万2千円なので自己負担は8000円だ。そう決まっているのでそうしているが、実際に耐震診断をする方から言えば、それでは割には合わないお仕事だ。僕らが診断する際は、実際に調査対象の建物の床下や小屋裏などに入って調べる。その調査を元にパソコンを使い、耐震診断を計算し提出するのだが、大抵の古い家は倒壊の危険性が高いと出てしまう。これはその当時の建築基準で建てられているからだ。現在の耐震診断の基準は阪神淡路大震災の揺れを基準として出している。なのでそれ以前である昭和56年の6月以前の建物などは、危険性が高いと出る可能性が高いわけだ。実際にこの基準で合わなかった建物は、神戸などでは大きな損害が起きている。

   昔のお家は大工さんの勘に頼るところが多かった。いまでは壁量計算といって、これくらいの長さの建物にはこれくらいの壁と筋交いが必要だという計算式がある。また偏心率という剛心と重心から割り出す値の計算方法もある。これらが昭和56年6月以前の建物には計算する義務がなかった。よって大工さんらの経験と勘が全てだったわけだ。当時の建物には筋交いだって入っていないところや金物を使っていない建物の方が多い。当時から入れた方が良いとは知っていたとは思う。だがそれが一般的だった。だが実際にはそんなお家は阪神淡路では壊れた。。

   工務店などに勤めていると、リフォームの依頼がくる。 『この壁を撤去して 1 つの空間にしたいんです』 とよく相談される。ほとんどの工務店の場合、 『大きな空間ができていいですね~』 などといってそのまま進めてしまう。もちろん地震などが起きたら、その壁が減る分だけ倒壊の危険性が高まる事となるが、そこは言及しないところが多い。もちろん危ないのは知っているだろうが、言ってしまったら仕事が来なくなると思っているようだ。本当は壁を壊したら、どこかに補強を入れた方が良いのだが。。

   勘に頼る時代ではない。しっかりと研究された計算式で家を建てる時代だと思う。少なくともリフォームする場合は、診断をしてから間取りを考えた方が良いと僕は思っている。

   8千円高くなるぐらいだし。。ほんのちょっと工事金額もあがるけどね。。

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