2012年5月28日月曜日

狐の嫁入りがあった時代

黒澤明の『夢』
  所用ができ池袋まで行った帰り、どしゃ降りに襲われた。今日は夕方近くになると雨が降る、不安定な天気となるとテレビで言っていたのだが、『僕は晴れ男だ』という妄想が先立ち自転車で池袋まで出かけてしまったのだ。すこしだけ濡れはしたが、そこはどっこい、ちゃんと雨宿り。何とかすぐに天気は持ち直した。言わば通り雨に遭遇したのだ。通り雨は他の呼び名で狐の嫁入りとも言う。昔の人の想像力には敬服する思いだ。

  昔見た黒澤明の『夢』と言う映画に狐の嫁入りの描写がある。狐の動きとメイク、そして音楽に、いい大人の僕でさえ引き込まれるような感動を覚えた。この映画は短編小説のようにいくつもの物語が一つの映画に入っているのだが、さすがは黒沢さん。すんごい夢を見ているもんだ。やはり世界の黒沢は違うのだ。見られていない方々にはお勧めしておく。現代よりも美しい何かがある気がするからだ。

  狐の嫁入りは地域ごとに違いがあると言われているそうだ。熊本の場合は虹が出た時、愛知では霧が出た時に、狐の嫁入りと呼ぶらしい。また福島では旧暦の10月10日にすり鉢を頭にかぶり、腰にすりこぎを差してマメガキの下に立つと、狐の嫁入りが見えると言う事だ。中々面白いじゃないか。

葛飾北斎『狐の嫁入り図』
  狐にまつわる日本の物語は各地に残っているのだが、比較的近い時代のものも残っている。昔勤めていた建設会社の上司の爺さんが狐に騙されたという話を、よくされていた。話はこうだ。今から大正時代の話らしいのだが、いつものように仕事の帰りに酒を飲み帰っていると綺麗な女性が話しかけてきた。そして袋に入ったお金をどっさり差し出し、貰って下さいと言うてきかない。断るのだがあまりにも言うので貰って帰ったそうだ。そしたら翌朝にはそのお金が葉っぱに変わっていた。村の人々は信じてくれなかったらしいが、婆さんはその葉っぱを見たらしくずっとその話を孫である僕の上司にされていたそうだ。こんな話は日本中に残っている。なしてだろう。。

  通り雨の後には虹が良く出る。小さい頃など虹が出ている方向には何があるのかなど考えた。よく宝が眠っているなどと言っていたものだ。昔の人はもっと生活に虹が入り込んでいたのは、あまり知られていない。その昔、虹が出るとその場所は聖域となり必ず市を開いていたそうだ。現在のような店舗型の店が出てきたのは室町後期のお話。それまでは毎月違う場所で市は開かれていた。そんな時代に虹が出た場所は特別な感じの市にでもなったのだろうか。僕はそこまでは知らない。しかし、現在でも色々な場所にその市の名残は残っている。四日市などは代表だろうか。きっと虹にも関係してくるのかと、どうでも良い妄想をしてしまう。

  昔はゲリラ豪雨などはあったのだだろうか。そして仮に起きたとしても都市機能は麻痺なんぞしなかったであろうから、狐の嫁入りという優美な考えも生まれて来たなかなぁ。。そんな事を池袋で雨宿りしながらブログにでも書こうかと考えてた。要は書く事が無かったのだ。


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