僕が日本に帰国したのは2002年の9月。小泉首相の北朝鮮訪問の数日前のことだ。1月ほど宮崎で羽を伸ばし、11月には京都に引っ越して、アメリカで所属していた会社の日本法人立ち上げをやっていた。お偉いさんが日本に来た時などは一緒に京都観光をする。といっても僕かて京都の事はあまり知らない。だが京都をぶらぶらしていて驚いたのが、ハングルの多さであった。当時はまだ日韓ワールドカップの余韻が残っていた頃であり、街のあちこちにハングルの観光案内や道路の標示などが残っていた。韓国帰りに寄ったの同僚などは、京都って韓国みたいなどと言っていた。
その後、ひょんな事から京都市役所に勤めることとなったのだが、知り合いになった共産党系の議員さんと飯を食べた時に、『あれは観光被害だと思わないかい?』と言われた。税金を使って観光客のための京都を作るのは間違えていると、怒ってらっしゃった。それまで不倶戴天の敵だと思っていた共産党だが、その一点では同じ思いであった。まあ、僕の場合は京都にハングルあふれたら、古都に見えないという理由であったであり、その共産党系の議員さんとは考え方の違いはあるのだが。。その後、ある日の職場での飲み方で、僕が部長さんにからんだ。『あのハングルなくしませんか?韓国人は日本人より英語喋れるし。。』すると他の若手職員さんも同調してくださり、あっさりと撤去が決まった。
2020年の東京オリンピックでも外国語の看板は増えるだろうと思う。だが終わったら撤去してもらいたいものだ。それに日韓ワールドカップの頃は無かったが、今ではスマートフォンは世界中の人が使っている。無料の無線LANさえあれば、自分らで勝手に調べてくれる時代だ。税金かけて看板を量産する必要性はあまりないような気がする。それにああいった看板はめちゃめちゃ高いし。。
0 件のコメント:
コメントを投稿