2013年4月12日金曜日

いい看板探してね♡


   昨日、とある記事のコメントに 『毎日、ブログを更新されているのですね』 とありがた~いコメントを頂いた。なので調子にのり 『そ~なんです ! 』 などと応えたんだが、いきなりさぼってもうた。。もちろん好きでサボっているのではなく、めちゃくちゃ疲れたからだ。さすがに一日中図面と格闘していたら、目からは涙がザ~ザ~流れるし、指はぷるぷるしてくる。とてもやとても更新する気持ちなんてわかず、気が付けば机の前で寝とった。。って事で、目には目薬、恥知らずなことに右手にはピップエレキバンを4枚も張り、がんばってブログを更新します。マクドナルド高鍋店から。。ああ、忙しい。。

   一昨日の事である。僕がいつも利用する宮崎県は西都市のコーヒー屋さんでちびちびコーヒーを飲みながら図面を書いていたら、どこかで聞いた声がする。う~ん誰かの~と思っていたら以前、宮崎市景観町づくりで講演されていた、旅情報誌 『みちくさ』 の社長さんだった。思わず声かけてもうた。いきなり角度によってはジョージクルーニー似ている男子が声かけたのでびっくりされたが、 『宮崎の景観町づくりで聞いていた者です』 と言うと 『ああどうも~』 と笑顔で挨拶して下さった。名刺くださいと言われたのだが、一昨日介護住宅改修のお仕事でた~くさん名刺を配った。。というより、配りきったので一枚もありゃしない。。も~何やってるんだと自分の不甲斐なさに凹みながら、彼女の名刺を頂いた。そして少しだが景観の事についてお話しをさせて頂いた。彼女は宮崎市の景観大賞の選考委員。僕からすれば、雲の上のお方。なのに僕みたいな貧乏設計屋に気さくに話して下さった。実にありがた~い事だ。思わずコーヒー屋のバイト嬢に『あん人、すげ~人やっつど ! 』と教えてあげてもうた。。彼女に言われた。次回の景観賞は看板なんだが、どこか看板で良いものはないかとのことだった。う~ん、宮崎市で良い看板。。んなモン知らん。。

   残念だが、僕が住む宮崎は景観の事を考えた町づくりの歴史はとても浅い。京都などの歴史を売りにしている町などが景観に目覚めるのは比較的容易だろうし、美しく新しい観光地が電信柱の地中化などに取り組むのは当然だろう。だが宮崎などの田舎町では看板を大きくする事が発展だと思っているのか年々その主要幹線道路である国道10号線などの看板は大きく派手になって来ている。自分とこの病院を紹介したいのか、医院長さんがどアップの看板などあちらこちらに最近増えてきたのだが、正直見れたモンではない。なので宮崎市などとしても看板に景観賞を与えて、少しでも景観について市民に考えていただこうという趣旨だろう。

   僕が以前勤めていた京都市などでは、ありとあらゆる屋外広告物を全面禁止に踏み切った。もちろん批判する人もいるだろうが、僕は前進だと思う。これ以上京都を景観的に汚くするのは間違えていると思うからだ。京都市は市を21の区域に別けて厳しい規制を入れたそうだ。屋外広告物といっても色々ある。昔から店の入口上部にある看板や、勝手に歩道に置いているあのプラチックな幟(のぼり)、また電柱などに勝手に貼っている張り紙、はたまた電飾がぴっかぴかの看板。これらを市内のある区域では全面禁止、また他の区域では大きさに制限をかけた。

   またその色にも規制が入った。京都市は良好な町並みを形成するため、屋外広告物の意匠やカタチが周囲の景観と調和しなければならないとして、具体的に色彩の基準をマンセル値を指定している。マンセル値とは色彩を表す3属性である色相・明度・彩度による数値表現方法の一つ。これを使い、この地域ではこの数値以上はダメですよと取り決めている。僕が知っている景観条例では京都が一番厳しいと思う。僕からみればまだまだだと思う部分もあるが、あの一見保守的だが革新的な事が好きな京都市民がよく受け入れたもんだ。実に偉い !

京都の看板。これで十分です。
   批判する人もいるだろうが、宮崎だって京都のような景観規制を作るべきだと思う。昨日の夕時だったか、NHK宮崎を見ていたら、宮崎市にある青島観光ホテルの閉鎖が決定したというニュースを見た。そのホテルは新婚旅行ブームの象徴的存在だったので、地元の人々は残念がっているようだ。だが青い空に青い海、そこにペンキの落ちた白~い(灰色の)観光ホテル。。これではそりゃ新婚旅行も来ないだろう。そのニュースでは現在の青島の映像が流れていたのだが、爺さんと婆さんの散歩道のようになっていた。。またその周りが実に看板だらけ。。僕はそんな所、行く気さえ起こらない。。宮崎は新婚旅行ブームで儲かったのかもしれないが、あれではどう考えたっていかんだろう。。

   景観条例は町を形成する最低条件を皆で決めるものだと僕は思う。そのためにはその土地に住む人々が景観について意識を高めて行く必要があるだろう。道路とは会社や商品を宣伝するだけの土地だと考えるのは明らかに間違えていると思うし、そろそろそんな考えは捨てた方が良い。

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右手のエレキバンがタイピングする度にうなっとる。。

2013年4月10日水曜日

介護改修の現場より


   今日は介護住宅改修工事のプランニングに行ってきた。僕はそこで図面作成・見積もり・写真編集などの市へ提出する書類一式を揃えるのがお仕事だ。通常この仕事はケアマネージャーさんらと施主さんと僕で打ち合わせする。だが現場が会社からウルトラ近いため社長も一緒に来てくれた。実に力強い事である。打ち合わせのため14時に現場でケアマネージャーさんらを待っていたら、どうも遠くから車がぞろぞろ入ってくる。聞くところによると、介護保険適応対象者であるお母様の福祉施設の方も来られるそうだ。ああ、そうなんだと思っていたら、気が付けば10人ぐらい来られた。。予想以上の大人数に現場は大混乱。。皆さん丁寧に名刺をくださるのだが、正直同じ会社の方々の名刺をもらったところで誰が誰だかよく分らない。。それに僕の名刺は僕の手作り。もちろんその名刺は僕の自腹からでている。。よって持っていた名刺をぜ~んぶ差し上げてもうた。。ちと勿体ないことをした。。まあ別にかまないが。。

   市役所に提出する介護改修工事の図面は、最低、現況平面図、改修後平面図、そして一つの部屋に最低2部の展開図が必要となる。なのでさっそく全ての部屋に入り手帳に間取り図を書いていた。ああ、ここは6帖でここに障子。。などとぶつぶつ言いながら手書きの図面を書いていたら、あちらこちらで黄色い声が聞こえだした。 『え~これがこの値段ですか~?』 『安~い♡』 どうも若い姉ちゃんが沢山来ていたので社長がテンション上がってリップサービスをされているようだ。いかん、こりゃ大変だ。。正直、これは僕としてはとても困る。と言うのも手摺やリフォームのラインを決めるのは僕とケアマネージャーさんのお仕事。それを施主さんと話し合いで決める。僕が間取り図を起こしている最中で知らない場所で決め事をされると思わぬ手落ちなどが発生する恐れがある。また積算するのも僕。となると金額が合わなくなると板挟みになるのは目に見えている。それに明らかにこの書類を作る僕の給料などは考えず言っている気がする。。正直大工仕事よりも日数がかかるのがこの書類作成のお仕事。実にまずい。。

   ケアマネージャーさんもどうやらあちらこちらで若い姉様らに色んな事を言われていて困惑されていた。これではさすがにまとまるモンもまとまらない。後は僕がやりますと社長には言い、なんとかケアマネージャーさんと連れだし打ち合わせには成功。何とかまとめて来た。ふ~。。

   設計などのお仕事をしていると、決定者が多ければ多いほど物事は決まらない事がよく分る。誰かが音頭をとって決めねば物事は進まない。

   まあそれが分っただけでも良しとせないかん。。
   
   って事で、今から徹夜で仕上げないといけない。。

   さあ、がんばろう ! 

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今日は徹夜だ、エイ・エイ・オー !!

2013年4月9日火曜日

売られた下ネタは買うタイプ


   清純な女性読者は下記の文章を読むことを控えることをお勧めします。僕のために。。

   僕が留学とお仕事をしていたアメリカから帰ってきたのが2012年の秋。小泉首相が北朝鮮を訪問するちょっと前に僕は日本に帰国した。当時日本は大不況のまっさだ中。失業率はとても高く、株価はウルトラ低かった。もちろん日本で仕事を探そうにもない。アメリカでウルトラ高給取りだった僕は、ちとしまった。。と思ったが、楽天的な性格のためまあ何とかなるだろうとタカをくくって仕事を探した。当時はまだ新卒信仰のようなものがあり、僕のようなアメリカの大学で政治学を勉強しアメリカのマスコミ関連業務で働いていたからと言っても雇ってはもらえない。そんなものな~んの経験として認められなかった。そんな時代だ。それに若い兄ちゃんが意見を言うのはどうもイカンらしくことごとく面接に落ちた。さすがに面接に落ちまくると妙な落ち着きが出てくる。ただ、日本に帰って来たばかりの20代の若い僕にとって面接官のセクハラにはとても参った。

   どうも日本の人事部の方々はエロい方々が多いらしい。僕が履歴書を提出すれば必ずといって聞いてくるのが、 『どうだった外人の姉ちゃんは。。』 面接に落ちまくった30社全ての面接官に聞かれた。。当時、頭の中が今よりもアメリカ~ナだった僕は、困惑した。とても紳士的な態度ではなかったからだ。アメリカでそんな話をビジネスの間柄でお話などしたら信用を無くすし、無論職を無くす。なのでそんな質問をされたら頭が!?となりフリーズ。面接所ではないた。またこれが憧れた日本企業の現実かと嘆きもしたし、怒りもした。なのでとある京都の大手の企業さんに聞かれた時は、アンタの嫁の体はどうなんだい?先に説明するのが筋だろ?と切り返しどん引きされてもうた。

   だがある時考え方を変えた。どうも企業さんらは困る質問をあえてやってくるんじゃないかと考えたからだ。なので一生懸命考えた。どう切り返せばええんや。。下ネタは笑えなくてはならない。笑えない下ネタは単なるエロ話だからだ。それから一生懸命考えた。曲がりなりにも面接の際の下ネタ。下品ではいけない。お育ちが違うのを一瞬で披露せないかん。

   ある日僕はとある市役所のお仕事を受けた。そのお仕事は臨時のお仕事だが、英語が必修だし、それなりに給料も良い。これに受からないと人生面白くはないと思ったので受けた。面接が始まり、お茶を運んでくれた女性が去った後、すぐさま質問攻めにあった。『外人の姉ちゃんはどうだった?』来よったなエロ公務員 ! と思い大きな声で言ったった。

   『デッカイ太平洋みたいでしたわ ! 』

   見事、内定を頂いた。

   僕の中でアメリカが抜けた瞬間だった。

   僕は笑えない下ネタは嫌いだ。そこに笑いがないとな~んにも生産性のないと思うからだ。キレのない下ネタほど迷惑きわまりないモンはない。また年上の人がその年齢を盾にとり若者をエロ話でいぶる日本の対応は良くはない。純粋な若者を潰すのには反対だからだ。

   市役所で 『アメリカ女にイエス ! と言わせた男』 と妙な肩書きを頂いた純粋な者として、そんな事を思う。

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眠い眼を見開いて書いてますんで。。

2013年4月8日月曜日

明治と平成の発音矯正

龍馬はん
   宮崎の人間が他の都道府県へ行った時に苦労することが方言だ。自慢じゃないが他県に出るまでは宮崎弁は九州で一番共通語に近いと思っていた。言葉自体がそれほど他県と違い、共通語とそれほどかけ離れてはいないからだ。宮崎の南にある鹿児島は言わずとしれた薩摩弁。仕事で営業などしていた時期があるのだが、鹿児島に入ったとたんよく分らん。。兄ちゃん俺の言葉わからんか~と営業しながらよく言われたもんだ。。また九州山脈をまたいだ熊本の言葉は○○とバイなどと言って言葉からして違う。正直宮崎を出るまでは、この田舎モンが。。と馬鹿にしていたのだが、人生初めて一人暮らしをした福岡で 『どんげかせんとイカン!(共通語で、どげんかせんとイカン!)と感じた。てげ俺は宮崎弁じゃないか ! と自分の言葉ながらびびってしまった。。宮崎の方言は言葉自体に違いがあるわけではなくイントネーションやアクセントがどうも訛っている。。抑揚が大きいイントネーション。そしてアクセントの観念がゼロのため、橋と箸の区別が付かない。。と言うよりアクセント自体があることを知らない。。京都などに住み、京都の方々と喋る場合、宮崎言葉などを出すと馬鹿にされるため、僕はがんばって訛りをなおしたもんだ。僕だけでなく宮崎の人々は他県に出ると訛りを直そうと努力されていると聞く。だが世の中訛りを直すつもりのない国柄の方々が結構いる。素敵だ。

   幕末に、薩長同盟や大政奉還に尽力した坂本龍馬は生涯、全国どこに行っても誰に会っても土佐弁で押し通したらしい。昔から土佐言葉は土佐人にとってお国自慢の一つに数えられてきた。土佐人は江戸弁や上方言葉よりも土佐弁のほうが日本語として正しいと思っていたフシがある。方言による劣等感を持たなかったばかりか軽い優越感すら持っていたようだ。例えば知り合いの土佐生まれの娘は水の事を midu と発音する。づを発音する事ができるのである。づとずを区別する。ぢとじを明瞭に発音するのだ。明治の初めに新しい仮名遣いになった一番の被害者は高知県の小学生だろう。彼らにとってはづとずは全く別物なのに、それを全てずとして書かねばならなかったからだ。維新後、文部省は今では不思議なことだと思うが、発音矯正教育というものをやった。面白い事に奥州会津の小学校でのそれは、東京の教師は呼ばれず僻地の土佐から呼ばれたようだ。兵隊をヘータイとよばずヘイタイと言い、整理をセーリと呼ばずセイリと呼ぶ土佐人は、当時から明快な日本語を話すと認識されていた一例と言えよう。

三笠。。かっけ~
   この発音矯正というものは、その必要性から取られた教育と言える。太平洋戦争で連合艦隊を率いて真珠湾攻撃を計画した山本五十六は明治時代に軍隊に入った。その最初の授業がこの発音矯正教育だったそうだ。軍隊というのは命令一下すべての人間が動かなければ役に立たない。帝国主義の時代、国民国家は軍隊を否応なく強くする必要がある。まだ鎮台と呼ばれていた頃の軍隊ならいざ知らず、国民の軍隊となれば統一した言葉を必要とした。そりゃそうだ。日本海海戦において東郷平八郎が 『皇国の荒廃コノ一戦ニアリ  各員一層奮励努力セヨ』 とZ旗を旗艦である三笠に掲げ隷下の艦隊に伝えたが、これが『皇国ん興廃こん一戦にあっちゃじっ  皆てげ気張れ』 では様にならない。『12ポンド砲  急ギ打テ』 なら良いが 『12ポンド砲  てげ急げ』では敵艦スワロフに当たる弾も当たらない気がする。

   そんな軍隊から広まった共通日本語も戦争に敗れて終わったのだが、昭和にテレビが一般家庭にも入り込みだした辺りから更に方言が窮屈になった。もちろんこの時は国家の強制ではない。だが最近の人々は以前ほどはテレビを見なくなったので以前よりも方言丸出しの方々が増えてきたようだ。田舎者の僕は少しだけだが嬉しい。だがまた矯正せなイカン時代となってきたような気がしている。というのも最近スマホやiPadで音声入力が増えてきたからだ。やはり訛っていては音声は入力できないようで、僕は非常に苦労している。

   やっぱり直さなイカンだろうね。。
   訛っている覚えなどは、ねぇっちゃけんど。。

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明日も真面目に書きますんで。.

吹奏楽はもっとカッコ良くせなイカン !


かっけ~
   先週だったか、春の甲子園が終わった。僕は野球はどちらかと言えば、大嫌いだ。父親が野球馬鹿なせいで、幼い頃などは週末になる父親が所属する野球チームの練習や試合に付き合わされた暗~い経験を持っているから野球は嫌いになった。僕が住む宮崎はプロ野球の方々がキャンプにいらっしゃる。そんな時、希にだがプロ野球の方々が父親の野球チームで遊びがてらピッチングをなさったりするのだが、小学生の僕は嫌々バッターボックスに立たされプロの方々が投げる球にバットを振らされた。もちろん打てるわけないし、それに大人の投げる球は子供にはとても恐い。なので野球がとても嫌いになった。。だが不思議なモンで甲子園だけは盛り上がってしまう。世間体もあるので地元宮崎のチームが勝った時などは、一応の感動はしてみせてる。だが僕が甲子園中継を見る一番の理由はあの吹奏楽団の方々が弾く応援ソングがとても勇ましく好きだからだ。ラッパ系の音楽は何故か昔から好きで、僕の目覚ましの音楽は帝国海軍の 『起床ラッパ』 を入れているし、正露丸にはいつもお世話になっている。

   甲子園で野球部さんらのためにかり出される吹奏楽部さんは大変だと思う。熱い中ご苦労さんと毎度の事だが思う。聞いたところによると、吹奏楽部に所属する部員数が年々少なくなって来たらしい。そりゃそうだろう。楽器はそれほど安い買い物ではないし、社会人になっても、この世智が無い日本では弾く時間も場所もそれほどあるわけではない。よって出場する学校に吹奏楽部がない場合や部員数が少ない場合は、地域のアマチュア演奏家さんやOBさんらがボランティアで協力しているそうだ。このボランティアと言うのがとても重要で、銭とって楽器を弾いていたら鬼より恐い日本著作権協会さんが黙ってないし、小林亜星さんがパっとサイデリア~とやってくるに決まっている。

かっけ~
   大きな町には吹奏楽団が1つぐらいは大抵ある。だが先ほども書いたように年々その楽団員は少なくなっている。なので色んなイベントに出て自分らをアピールするなど、涙ぐるしい努力をされている。だが結局は音楽に銭払って見に行く人が少ない日本では、あまり効果が上がっているとは思わない。それに僕にはそのイベントなどで弾かれている曲にとても不満がある。どうもかっこよくはないのだ。

   以前、僕がまだ京都に住んでいる頃の事。知り合いの京都府美人協会所属のコンビニ娘がミニコンサートに誘ってきなはった。彼女は楽団に所属してはるのだが、楽団に客が入らないので給料が安いんだそうだ。なので、少しでも楽団のファンを増やそうという事で京都駅でコンサートをやると決まっりはったようだ。良かったら周りの美人協会の人間 (主に貧乏建築士と大工) も誘って下さいと頼まれた。美人の頼まれ事には快諾する習慣がある僕は、二つ返事で請け負った。だが頂いたチラシをジジっと見てみると演目に 『ディズニーメドレー』 と書いてある。。どうもミッキーさんに始まってミッキーさんに終わるようなコンサートになっていた。。ミッキーさんの肩を持つつもりで言えば、そりゃ子供らは喜ぶだろう。子供らがどれほどミッキーさんを愛しているかは知らないが、ママさんもついでに足を止めてくれるだろう。だが僕はその演奏を見てその楽団のファンになる人がいるのかと言えば、違うと思う。

違う気がする。。
   どうも文化系の方々は”カッコイイ”が苦手だ。前々から思うのだが、どうも内向き思考がつよすぎる嫌いがある。甲子園ではあれほどカッコイイ音楽を弾いてくれているのに、なぜ自分らの客集めになるとお子ちゃま相手の音楽になるのかよく分らん。昨日もふとNHKを見ていると宮崎の楽団の方々が音楽に親しんで頂こうと、お子ちゃま向けの音楽を演奏されていた。弾いていて楽しいんだろうか。。僕が楽団員だったら楽しくはないし、さっさとそんな楽団は去るに決まっている。

   さすがにミッキーさんはイカンだろうと、その仲の良いコンビニ嬢が僕の家に遊びに来た際、超酔っ払っていた僕は音楽とは何かをとうとうと教えてあげた。そしてこれでも編曲してやったら?と上記のレニングラード・カウボーイズのスペース・トラクタ~というラッパな音楽を聞かせたら、彼女は 『カッコイイ』 と超気に入っていた。すぐ楽団に持ち帰ったら若手の楽団員らが和服を着て演奏すれば盛り上がるはずだという事になったそうだ。だが結局、古株の方々が、こんな音楽ははしたないという事でボツ。結局はミッキーさんのオンパレードになったようで、結局は自己満足のコンサートとなったようだ。別にこの音楽でなくても良いが、ミッキーさんは。。そりゃファンも付かんわな。。

   少しは文化系の方々は”カッコイイ”を実践されたら良いと思う。もちろん自分らのコンクールなどではいぶし銀のような渋い選曲で良いとは思うのだが、普段から渋くなる必要はないし、音楽に貴賤はないと思うんだが、どうだろう?

   まあ、高校の時、エロ合唱部に所属していた僕は、『しょ、しょ、しょじょ寺、しょじょ寺の庭は。。』と歌わせられていたんだが。。

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頭の悪そうな記事ですが。。

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