2013年5月13日月曜日

土鍋で炊くご飯には勝てない

   昨晩の事、我が家にちょっと困った問題が起きた。炊飯器にご飯を入れスイッチをオンにしたのだが、ま~たくビクともしない。 『ちゃんと、押したの?』 と母親に言われたのだが、確かに押した記憶がある。ぶ~ぶ~母親が言いながらスイッチをオンにしたが、5分ほどしたらやはり勝手にランプが消えよる。。どうやら壊れてもうたらしい。以前から母親は南部鉄器を使用した炊飯ジャーを欲しがっていたので、これはシタリと電気屋さんに今日の夕方に行き買ってきた。その炊飯ジャーはごっつい高い買い物だったようだが、なんせ南部鉄器さまを使用しているので、ご飯を炊くのにやたらと時間がかかる。。おかげで晩飯が21時をまわってもうた。やっとこさ出来上がったご飯を食べたのだが、何が違うのか僕にはさ~っぱりわからん。。母親は美味しいと意地でも言わねば気がすまないらしく、『おいしいよね?』 と何度も聞いてくる。あまりにも言うので 『美味しいよ』 と一応は答えた。だが土鍋で焚くご飯ほどではないと思った。まあ母親が満足すればそれで良い。ただもちょっと晩飯早く食べたいわな。。

   僕は料理を作るのは嫌いではない。一人暮らしをしている頃は、毎食とはいかないが自炊をしていた。だが炊飯ジャーではご飯を炊かず、土鍋釜を使用していた。というのも貧乏設計屋をしていたので、とても炊飯ジャーは高くて買えなかったからだ。土鍋釜はとても安く、それにご飯が美味しい。ガスで炊くと一気にご飯のうまみが閉じ込められるので、うまみが違うのである。また良い土鍋を使うと、ご飯が立つ。立ったご飯はしゃきしゃきしていて美味しく、もう炊飯ジャーでは飯が食えない体になってもうた。だが土鍋釜の一番のつらさはご飯を保存するのが難しいという事だ。土鍋は蓄熱効果が高いためすぐにご飯が黄色くなってしまい、おいしさが損なわれる。だがお櫃(おひつ)を使えば、その難点は防げる。そのおひつもとても安い。2000円ぐらい出せば、遠赤外線がでる 『おひつ君』 も買える (よ~売れとるらしい。。) まあ遠赤外線がでて何が良いのかは知らんが。。

   先日、宮崎県は日の影町にある親戚のお宅へ行ってきた事は書いた (島津の隠密やってましたも読もう!) そのお宅は、以前は立派な釜戸があった。親戚のおばさんの家に行くと、よく来たとご飯を振る舞ってくれるのだが、そのご飯はしゃきしゃきしていてとても美味しい。よくNHKなどを見ていると、地方でかまどを使ってご飯を振る舞っている場面を見ることがある。そんあ感じの釜戸だ。それらは味ももちろん美味しいし、生活のスタイルとしても健康的で美しいと僕は思っている。

   日本人は以前から釜飯を食べてきた。それらが炊飯ジャーに変わったのは、もちろん手間をかけず安全にご飯を作るためである。いつ頃から炊飯ジャーに変わったのかは知らないが、当時の人々は 『美味しくなくね?』 って思わなかったのだろうか。まあそれが時代として COOL だったのかは、もちろん知らない。

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2013年5月12日日曜日

島津家の隠密やってました。。

   今日は宮崎県は北部にある日の影町まで車で行ってきた。というのも母方の婆さんの実家が日の影にあるからだ。僕の母親は僕の地元生まれなのだが、その両親は二人とも日之影町生まれ。なので僕の血の半分は日の影町のモノという事になる。僕のおじさんは猟はやるし蜂蜜も自分で養蜂をする、田舎の神様のような人。そのおじさんが蜂箱を僕のために作ったので来いと言う。よって土産のワイン片手に車を飛ばした。だが日の影町は僕が住む町からは遠い。また道を間違えたので気付けばがっつり3時間半も片道にかかってもうた。。

   その蜂箱は、単純に杉の幹にチェーンソーを入れただけのもの。僕が自分で作ってきたモノとは違いとてもシンプルに出来ている。一番原始的な蜂箱である。3時間半もかけて行ったわりには用件は5分で終わったもうた。。だが僕はこのお宅はかれこれ20年近くは来ていない。僕のひい婆さんにあたるそのおじさんの母親が亡くなった時に葬式で来て以来である。ご先祖さんらの墓参りぐらはせねば格好がつかない。おじさんに墓を教えてもらい拝んできた。だが見渡せば、墓・墓・墓。。ごっつい数である。見た目が江戸時代ぐらいのが、た~くさんある。それも狭い敷地にどどっと墓だらけ。現在の整然とした長方形の墓が整然と並んでいるのではなく、無造作に墓石が置いてあるような感じだ。ひい婆さんを拝んだ後に気づいたのだが、婆さん拝むために数人のご先祖さんは踏んだはずだ。。知らんで踏んだんよ。。ごめんね。。ご先祖さん。。

   『えらい数やね。。』 とおじさんに聞くと、どうも江戸中期ぐらいからのがこちらにあり、また他の場所にはそれ以前のもあるらしい。。 『んで、ご先祖さんは何してたん?』 と聞くと、宮崎県北の訛りの強いおじさんは、 『ん !? 壇蜜よ』 って言った。。 『えっ ! 壇蜜 ♡ 』 と一瞬考えたが、どう考えたって僕らの壇蜜は江戸時代にはいない。もう一度聞いたら 『島津の隠密よ ! 』 と言われた。。えっ。。僕のご先祖さんは鹿児島だったん !? それも隠密 (おんみつ) って。。

   おじさんに色々教わった。ご先祖さんは島津家家中のお侍で、隠密として宮崎県北を探るため派遣されたようだ。いつの時代かは定かではないが、そのまま土着したらしい。宮崎の歴史で県北がきな臭かった時代と言えば、戦国時代だろう。現在の大分の大友氏が宮崎に攻め入めて大負けした 『耳川の戦い』 は九州の関ヶ原とも言われる大戦だった。その時代かもしれない。どうも単純に土着し農家になったようではなく、その後も鹿児島と連絡を取っていたようだ。そのおじさんの家の近所には学校があったという話が残っている。その教師は鹿児島から派遣されて来ていたとの事だ。その学校がいつの時代まであったかは分らないし、学校だったのかそれとも寺子屋程度であったのかはよく分らない。

   よくよく考えて見れば、そのおじさんの家は人口が4000人という過疎の町である日の影町の中心部から、車で30分もかかるとんでもない山の中にある。今日は携帯の GPS で行ったのだが、本当に到着できるのか心配になるくらい山の中だ。その集落は人口が70人というとんでもない集落。。人が住むとは思えないくらい山の上にある。またそのおじさんの家の名字は確かに宮崎のモノではなく、鹿児島に多くある名字だ。宮崎県北の日の影町や高千穂町は、甲斐さんや興梠(こおろぎ)さんが多い。そんな土地にはそぐわない名字を持っている。また家紋も名前は知らないが、ごっつい感じだ。。

   僕の実家の家紋は典型的な佐々木氏である四つめ菱だ。ルーツは現在の琵琶湖南部にある近江八幡市あたりと聞く。まあ本当かどうかは分らないが、それなりに家系図もある。自分の実家のルーツは知っていたが、母型のルーツは知らなかった。。それも島津の隠密って。。

   何か。。リアルじゃん。。

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2013年5月11日土曜日

坪単価という "まやかし"

   最近名刺を大量に配っている。機会あるごとに挨拶回りが忙しいく、頻繁に名刺を配っているからすぐ無なってしまう。自慢じゃないが、僕の会社は名刺を作ってくれない。まあ銭出してねって言えば出してくれるだろうが、それを聞くのも億劫 (おっくう) なので自分で 400 円ほど出して用紙を買って来て、あとは自分らしい 『爽やかな』 名刺を作っている。って事で、すでに名刺が切れそうな僕は用紙を仕入れに宮崎県は高鍋町まで行ってきた。名刺用紙を買って家へ帰っていると、住宅展示会をやっていた。建築業界は今、忙 (せわ) しない。消費税が上がるため多くの方々が家を購入するといわれているからだ。なので最近は住宅展示会をあちらこちらでやっている。同業者として他社が作ったモノは見てみたい。とても勉強になるからだ。って事で見学させて頂いた。ことわっておくが、偵察ではない。そのご近所に親戚が住んでいるので、ご近所挨拶もかねてダ !

   そのお家は杉の木をふんだんに使ったおしゃれな住宅となっていた。完全に今時のおしゃれな白い家だ。これが中々良く出来ている。キッチンはオーダーメイドのおしゃれさんに仕上がっている、それに色の配置も良い。いかにもおしゃれな女性がおしゃれに設計した、『カフェ~』 が楽しめるような無印良品的なお家だ。設計が本業の僕だが、どうもおしゃれな家を作るのは得意な方ではない。なのでこぎれいに作ってある家を見ると本当に尊敬する。展示会場におしゃれないい女がいた。コヤツじゃな~作ったンは。。なんて思いながらそのお家を見学していた。最後に、総額はいくらぐらいですか ? と聞いてみた。そしたら2300万円と言われた。。高っけ~。。

   そのお家は多分40坪ぐらいだと思う。なので坪単価にすればきっと50万は超えるはず (設計料は抜きます。。きっと。。) だが、床は杉を使い、梁は集成材を使っている。それらは建築材としては一番安い代物だ。また梁などは塗装がされてはいなかった。塗装がないという事は年月がたつとどうしても黒くなりがちだ。また柱はフシが沢山ある安い材料を使っているので、少なくとも工事金額はもっと安くはなるはずなんだが。。とは思った。ちなみに僕の会社だと、僕が現在作っている家は1600万で43坪の家を作っている。。(ホントは1700万だが。。見積もり間違えた。。)

   だが今日見学させて頂いた会社が特別高いとケチをつけるつもりはない。展示されていたキッチンはオーダーメイドで作ってあるし、窓枠は木の意匠で整えているからだ。それに地熱発電 (きっと。。) も普通においてあるし、こだわりが一つ一つ丁寧だ。それらを設計する手間や、職人さんの仕事を丁寧に金額を出したらそれくらいにはなるかもしれないと思う。また展示会場には社長さんやインテリアコーディネーターさん、そして事務員さんに現場監督さんなど5名ぐらいの方々が迎えてくれた。会社に多くの人員がいるという事はそれなりに儲けなくてはならないだろう。

   一般に坪単価といわれるモノがある。坪30万で作りました ! と新聞広告などで宣伝しているのをよく見る。 『安いね~』 などと一般の方々はそれらに釣られて展示会場へ行かれると思うが、この坪単価ほど定義の曖昧なモノはない。それは会社によって設計代金を含む場合もあるし、工事代金のみの場合もあるからだ。またその坪単価で作ってと工務店などに頼んでも、施主さんがこだわった間取りや家具などを置いたら、もちろんその単価ではできはしない。また大きい家では坪単価は安くなるが、小さい家では坪単価は高くなる。なので住宅メーカーさまはオプションで値段をつり上げていくところが多いと思う。坪単価は住宅を作る際にあまり参考にしない方が僕はいいじゃないかと思っている。

   ちなみに僕が所属する工務店はウルトラ安い。僕の会社の社長が言っていた。 『うちの会社が安いのは事務員などがいないからだ ! 』 確かにそれは的を得ていると思う。

   だがおかげホームページは作ったが、弊社に興味ある人が電話して来ても、誰も出ないんだな。。

   それで良いとは思っては無いが。。

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誰も出ないんで。。うちは。。

2013年5月10日金曜日

『月と負け犬』 


   お仕事でブログが遅れがちだ。読んでいる人がいるのは分っているのだが、どうしても仕事が忙しく更新が遅れている。申し訳ないことである。

   今日は入札があった。とある老人ホームの入札だったのだが、見事に落とせなかった。結構良いラインの数字ははじき出したのだが、3位だった。だが2位と1位の差が700万もある。。どうやら落札した業者さんは計算間違いを犯したらしい。僕の計算だと少なくとも材料費だけでも400万ぐらいの赤字だ。これに工務店の儲けや現場の経費などを入れると莫大な赤字になるはずである。ライバル社ながらお可哀想である。きっと担当者はクビを括らねばならない。。またその業者に入っている下請けの職人さんらは給料を2割ほど削られる事になるだろう。。施主さんは大儲けで笑いが止まらないだろうが。。

   って事で落札できず、やけ酒飲んでます。そりゃ2週間働いても銭がビタ1円も出ないで飲むしかないわな。。

   って事で今日は音楽でごまかします。

   椎名林檎さまの 『月に負け犬』 です。まあこんな心境ですね。

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2013年5月8日水曜日

城からお声が掛ったら、断れない

   昨日のこと、いつものように仕事に追われて宮崎県は高鍋町を車で徘徊していた。ああ~積算急がねば。。などとずっと考えていたせいか、夜は眠れなかったので運転していてどうもテゲテゲ (宮崎弁で適当って意味です。) になっちょる。こりゃイカンと脇にある城跡の駐車場に入った。場所は高鍋町が誇る高鍋城前の駐車場だ。この城は別名舞鶴城と呼ばれ、僕のご先祖さんが出仕していた高鍋藩秋月家のお城。お城といっても小さな小さな藩なので、城といっても普通の公園程度のお城だ。その駐車場は大クスの木が覆い茂り、昼寝には絶好の場所となっている。ふと見渡せば僕だけでなく、営業さんらが仕事をさぼって昼寝していた。実にけしからん。。しかし贅沢なことだ。石垣を間近に眺めながら寝れる場所などはそうない。石垣を愛す僕からしたらこれほど素敵な場所はない。マイナスイオンが出ているような気さえする。実に素晴らしいと、ニヤつきながら寝た。30分ぐらい寝ただろうか。さあ、いざお仕事 ! 参らんマクドさんへ ! などとは思ったが、どうもお城さんが追いで追いでしている。どうも寄って欲しいらしい。仕事があるからまた来ますね~と心の中では思ったのだが、それでも来いと言う。もうしょうがない ! って事でご先祖さんがお勤めしたお城へと向かった。

   まず石垣を20歩ほど駆け上ると、いきなり神社がある。名前は舞鶴神社という。まんまである。きっと秋月家が作ったのでろうか、家紋が秋月家のそれだ。通り過ぎるのは簡単だが、昔はお世話になったお家なので拝んできた。しかし立派な神社なのである。ふつう神社は、以前にも書いたが、鎮守の森に囲まれているので神社自体は鳥居から木々が邪魔して見えないのだが、鎮守の森という程のものはないこの神社はとても威厳がある。さすが武家さんの神社や~と妙に感心してしまった。そしてやはり堂々としているのが素敵だ。日本の神社はちん小まい (※読み方注意 宮崎弁で小さいの意味) ものがほとんどだが、この神社はとても大きい。この宮崎には少ないカッけ~神社だ。

   神社の鳥居横には民家がある。神主さんの家だろうか。実に素敵だ。お城の石垣が完全に自分の庭である。かっけ~。。周りはお堀に囲まれているじゃないか。。ええの~。。実に住みたくなるような素敵な場所にある家である。またその横には小さな喫茶店。。雑貨屋 ? そんな感じの店がある。 『Open』 と一応は書いてあるのだが、電気がついていないところをみると、きっと 『頼もう~』 と言わねば家人がでてこないシステムのような気がした。

   『止めてくれるなご先祖さん、カバンの図面が泣いている ! 』 と仕事の事が頭をよぎったが、まだお城が僕を呼ぶ。『もうちょっとでイイちゃが、上がってキぃ ! 』 そう言われている気がした。ママよ ! ご先祖さまが受けた恩は山より高く海より深い。行くしかないよな~と自分に言い聞かせ、山城 (一応。。) を競歩でお尻をぷりぷりしながら上へ上へと登った。

   どれくらい登っただろうか。。気が付けば1分ほど山道を歩いただけなのだが、息があがった。はぁはぁ言いながら上がったその土地は、山城なのに大きな広場がある。 『きっと本丸跡だ~ ! 』 とだ~れもおらんのを良いことに、一人でキャッキャ言うてもうた。そこには小さな看板があった。看板には 『高鍋城本丸政庁 奧御殿跡』 とある。よ~く見たら、これが結構素敵なんだ。御殿である。御殿とは建築上は明確な定義はない。国語辞典などで調べれば、 『貴人が住む立派な家』 ぐらいしか記載されてはいない。写真にあるように決して整然とした左右対称の建物ではなかったようだ。これは日本建築の特徴で、左右対称を面白いと思わない精神から来ているのかもしれない。欧州などのお城が整然とした左右対称なのと比べれば実に日本的で良い。深みが違うのだ。どうやら教育委員会に行けば図面ぐらいはコピーしてくれそうだ。いつか研究してやろうと思った。

   奧御殿跡の礎石とその横にある色あせたぞうさんの滑り台を見渡しながら、明治政府は実に勿体ないことをしたもんだと思った。この高鍋城は1874年には払い下げされ解体された。つまり材木などは売り渡されたようだ。残しておけば財産だったのに。。とは思う。当時は明治政府が始まったばかり。西南戦争前夜だ。いつ不満分子がお城に籠もって抵抗するかもしれないと考えたのだろうし、実際に不満分子が立て籠もり籠城戦が長引けば、各地で蜂起が始まったであろう。当時の政府が持つ手持ちの軍隊は鎮台さんしかいない。政府は確実に転覆したであろう事を考えると、やむ終えないかもしれない。でも。。見たかった。。象さんの滑り台に座りながらそう思った。

   気が付けば1時間近く徘徊していた。

   って事で仕事は順調に遅れている。

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さあ、今日は徹夜だ。

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