2012年3月14日水曜日

『地学のツボ』と、富士の噴火の歴史的な影響


棺桶に入れていも良い本です。
  僕は学生の頃理科が嫌いだった。小学校の頃の理科の先生がどうしても好きになれず、それから学科そのものまで嫌いになった。今ではがっつりコンプレックスになり後悔している。しかし、京都にいる頃、それじゃイカン!って思い一冊の本を手に取った。名前は『地学のツボ』という本。この本は実にすばらしく、理科に全く理解できなかった僕には眼から鱗だった。おかげで僕は地学が大好きになった。この本のおかげで僕は火山が好きになった。なので僕は富士山は大好きだ。だが実は富士山を見た事がない。一度だけ飛行機に乗っている時、『あれって富士山かな?』っていう山を見た事はある。しかし、真上から見たので自信が無い。東京に来て東京の人間にそのことを言ったら『九州の人って富士山見た事無い人多いよね』って言われた。言われてみればそうかも知れない。宮崎の人間とこちらにきて電話で話した時に、『富士山って見えるとや?』と聞かれた。僕の友人らは東京から富士山はしょっちゅう見えていると思っている。僕もそう思っていた。が、『見えるわけねぇじゃん、この田舎者!』と言ってあげた。まあ僕も見た事が無いのだが。。

中腹から噴火しました、宝永はね。
  実は今日は富士山が爆発した日だそうなんだ。西暦で言えば800年の事。延暦の大噴火と呼ぶ。大きかった宝永大噴火などは資料がよく残っておりその被害がよく分かるのだが、延暦の大噴火の場合は『日本紀略』という書物に載っているぐらいでよく分からない。江戸時代の宝永大噴火の場合は江戸の町に2cmぐらいの灰が溜まったようだ。確か箱根の山まで大きな岩が転がって多くの人が亡くなったと聞いた事もある。(間違っていたらごめんなさい) それはそれは大変な災害だったようだ。当時の幕府は救済のために全国の大名に100石につき2両の強制献金を命じている。結果集まった金額は40万両。しかし実際に使ったのは16万両だったようだ。どこか日本ユ〇セフを思い出してしまった。。ちとせこい。。

  噴火で思い出した。アメリカにはイエローストーンと言う国立公園がある。実は昨年だったと思うが非常に大きいマグマだまりが発見されている。現在のマグマだまりが噴出した際には人類滅亡の危機となる事が予測されているそうだ。科学者のシュミレーションでは大量の火山灰がヨーロッパ大陸に届き、米国の75%の土地の環境が変わる。そして半径1,000㎞以内に済む90%の人々が火山灰で窒息死するらしい。えらいこっちゃないか。。

  富士山が爆発したら日本経済だけでなく世界経済に大きな打撃を与えかねない。実際宝永の噴火では世界の環境に大きな影響を与えている。一つ例を出せば、その大きな噴火により地球の温度を押し下げ、ヨーロッパでは大飢饉が起きている。この飢饉のせいでフランスでは革命が起きている。

  そんな事を考えながら、サッカー中継を見ています。がんばれ日本!

ブログランキング・にほんブログ村へ
良かったら協力してください。

2012年3月13日火曜日

お抱え絵師の復活 !!

  京都の右京区にある退蔵院というお寺でお抱え絵師(御用絵師とも言う)が復活したそうだ。京都造形芸術大学出身の村林由貴さん(25歳)が公募の末選ばれたそうだ。作品に対する対価は出ないそうだが、ちゃんと住み込みで食事に給料だって出る。3年がかりでふすま絵を64面を描くそうだ。実に素晴らしい事だと思う。お寺の方が言われるには『高名な画家に発注して高額で買うので無く、文化財を作り出す若い人材を育てたい』と言う事で、現代では途絶えた『お抱え絵師』に着目したそうだ。僕にとってこのお寺の方の考え方は、久しぶりにすかっとしたニュースだった。実に素晴らしい。

  そもそも日本のふすま絵などは、絵師と呼ばれる方々が書いてきた。日本間に障子が有り、ふすま絵が入っているってのは当たり前のセット。やはり単調になりがちな住宅建築に、日本間だけは華やかな美しさが欲しかったのだろう。無地(白地)の襖(ふすま)など見た事がない。が、いつの頃かふすま絵はプリントされるようになった。実は日本間という室は設計の時に力を入れれば、いくらでも入れれる。奥が非常に深い空間なのだ。また日本間は客間であり接待の場。その家主の建築的な美意識を表現する場所とされていた。なので昔の人々は床の間にこだわり、壁の材質や木材の品質、そして障子やそのふすま絵にこだわってきたわけだが、戦後多くの日本人は日本間にあまりお金を掛けなくなった。フローリングが当たり前となり、生活の中での日本間の地位はぐ~んと落ちてしまった。なのでお金を掛けず、とりあえずって程度の日本間しか最近では建てられない。

  しかし寺院は違う。寺院はあくまで私邸では無く公共の施設に、おおざっぱに言えば入る。寺院のふすま絵がプリントではさすがにいけない。本物を使わないお寺などはどことなくインスタントで興味が失せるのだ。単に昔の作品を補修して使うって言う物ではなく、ちゃんと新しい感性で新しい芸術を作って行く。寺院の心意気に、喝采を送るべきではないか。

ブログランキング・にほんブログ村へ
良かったらご協力ください。

朝っぱらから、パンプラム~ス!!


  おはようございます。朝っぱらから、何ですが。。昨日見付けたこの曲が頭から抜けません。。これは『Angry Birds』って言う無料のオンラインゲームの曲を、僕が尊敬するパンプラムースさまがカバーされてます。決してゲームを宣伝するとかでは無いようで、単に作ってみたって感じみたいです。気になってオンラインゲームをやってみたのですが、どうしてこのゲームの曲をこのクウォリティーまで持って行けるのか不思議で寝れませんでした。日本のミュージシャンもこれくらいのクォリティーを持って欲しいのです。って思いませんか?

  さぁレッツ・二度寝!って訳にはいかないよね。。シャワー浴びよ。。

センスとクォリティーが凄い!
 ブログランキング・にほんブログ村へ
良かったら押してね

2012年3月12日月曜日

100年前の労働と、今を生きる僕。

もちろん昼間撮影♡
  僕の仕事はホームインスペクションという建物のお医者さんのようなお仕事。お医者さんと行っても総合病院のようなその道のスペシャリストと言った様なものではなく、町医者のようなもの。つまり高い機材を使うので無く、できる限り安い機材を使い建物を診断する。よって総合病院と違い料金もさほどかからない。まだまだできたばかりのお仕事なので、どうしても件数が少ないのが厳しいのだが、なんとかがんばっている。まだまだ駆け出しの僕は午前中のみの現場となる事が多い。しかし午後に我が家に帰り、パソコン仕事をしないといけない。まあそんな生活をしている。アメリカにいる時は仕事は3時までの事が多かった。3時に終わるが朝は少し早い。しかし3時に終わると色々できてありがたい。日本に帰って来て『日本ってなぜにこんなに世智が無いんだ』なんて思ってしまう。ネットで今日は何の日か調べたら、今日は明治政府が日曜は休み・土曜は半休と決めた日なのだそうだ。へぇ~。。

  よくよく考えると、日本は昔は日曜日は確かに休みでは無かった。日曜が休みってのはキリスト教の観念。では昔の日本人はよ~く働いたのじゃないか?そんな事は決してない。江戸時代や明治時代の初期の頃の役人は、勤務時間が10時から2時まで(休憩も1時間ちゃんとある♡)と文献でちゃ~んと確認されている。また大工などの民間の職人だって、1日3時間労働。朝早くから出て、1時間働いて2時間休憩を繰り返していたそうだ。なので一口サイズの料理、日本を代表する『寿司』が生まれた訳だ。でもそんなに働かなくて大丈夫なんだろうかと思うが、仕事が細分化されていて上手に回っていたようだ。いわゆるワークシェアリングみたいな物だったんだそうだ。なのでフリーターが多かったらしい。現在農業やっている人々は結構暇を見付けては何かやっていたりする。一日ず~と働いている農家の方々はあまりいない。もちろんそれは一つだけ仕事をしている前提で書いているのだが。。つまりどことなくゆとりはあったと言う事だ。

  昔の方々はなぜにそんなに短い時間だったのだろうかと考えて見る。よ~く考えたら夜は暗かった。ロウソクの明かりで仕事ができるってのは相当お金持ち。夜なべして何とかと言うのはあくまで明治の中頃からの話だ。明治初期に入ってきたランプだってそんなに明るくは無い。せいぜい周囲30㎝が見えれば十分という明るさだ。なので朝が早い。基本的に大工だって起きるのは朝4時ぐらい。朝6時には現場に行っていたそうだ。そして日が沈む夕方には就寝だった。つまり究極のサマータイム制だった訳だ。

  太陽の動きに合わせて行動していた日本人。どこか今より健康的なような気がする。現在パソコンの前に座り仕事をしている平成の僕。。まだ仕事が終わってない。。きっと電気があるからなんだ。。ってのは完全に言い分けだ。『嗚呼、柴漬け食べたい。。』

ブログランキング・にほんブログ村へ
良かったら押してね

2012年3月11日日曜日

リフォーム前の、耐震の基礎知識。

女川町、昨年5月撮影
  今日は東日本大震災から1年となる。ふと風呂上がりに僕が住んでいる家の構造を見てみた。ホームインスペクションという仕事は、家の町医者と呼ばれるお仕事。つまり建物の劣化状況をカルテとして出すお仕事なのだが、以外と我が家は見ていなかった。ふと押し入れの柱を見たら妙なところにプレートが打ち込んである。なぜこんな所にあるのだろうなんて感じていたわけだが、よ~く見たら柱がすっかすか。。えっこれシロアリの被害が凄いじゃ無いか。。要は柱と横架材のつなぎ目がシロアリですっかすかになっていたので、とりあえずプレートで連結し、ごまかした。。と言うか隠した訳だ。嗚呼、早く金を貯めて引っ越そう。

  東日本大震災の損害保険鑑定人として勤務した経験がある僕は、どのような間取り、構造が地震に弱いのか分かるようになってきた。鑑定人をする前はあくまで本などで読んで覚えた程度。実際に現場を見てみると自信がつくものだ。

  例えば、玄関などから大きな吹抜けがありる時などは、顕著に被害が出る。その吹抜の空間に他の室からの地震力が集中してしまうからだ。これが一番被害がよく出でていた。また地盤の強い弱いというのも注意が必要だ。以前に田んぼだった場所に立つ建物には、ほとんどの場合被害が出ていた。特に地盤沈下を起こしている場合が多い。例えばその家が、以前田んぼだった場所を整地した土地と、道路など田んぼ以外の土地だった場所にまたがって作るってあるとしよう。そんな場合、田んぼだった土地の場所だけ、地盤が沈下する事により、基礎の破断が起き、外壁に亀裂が入る。僕が行った家で、このような条件の場所にある家はほぼ100%被害が出ていた。

女川町、RCが倒れてます。
  現在日本の木造家屋には大きく分けて3種類の工法がある。軸組工法(通常在来と言います)と枠組み工法(2x4の事)そして、伝統工法だ。伝統工法は昔の神社やお寺などによく使われるが、結構手間がかかるので住宅建築にはほとんど使われていない。一番普及しているのは軸組工法。柱と梁で家を構成する訳だが、しっかりと金具を連結する事によって地震には強くなる。また耐震計画がばっちりとされていたら、それだけでも心強いものだ。地震で壊れても直しやすいと言うのがこの工法の魅力であったりする。では枠組みはどうか。実は自信には非常に強い。阪神淡路クラスでも倒壊していないのがこの工法。そして簡単な構造なため、建築費用が安く済む。しかし問題もある。確かにつぶれないという意味では地震に強い。しかしある程度の地震(例えば東日本大震災や、阪神淡路大震災クラス)が来た場合は、経済的損出が大きくなる。この枠組み工法は壁で建物を構成しているので、その壁に被害が出たとすれば大がかりな工事が必要になる。リフォームがまだまだ高い日本。そんな事があったら結構手間がかかるものなんです。

  東日本大震災から1周年を迎え、改めて震災で亡くなられた方々、そしてご家族を無くした方、被害に遭われた方々に哀悼の意を表します。

ブログランキング・にほんブログ村へ
ご協力下さい。ボチっとね♡

フォロワー

 
;