2017年10月17日火曜日

映画『関ケ原』をみました

 『関ケ原』という映画を見た。僕は普段は映画などはとんと見ないし、ましてや映画館などに行くような人間ではない。どうもあの映画館での長くじっと座りながら一つの動画に集中する行為自体が苦痛なタチであるし、一人鹿児島に来ているわけで、お一人で映画館ってのもいかにも悲しいからである。だが、ぼんやりとだが、まっとうな週末をたまには送ろうと、何がまっとうかがよくわからない自分がじっくり考えてたどり着いたのが、早起きして朝一番に映画館へ行こう!ということであった。

 映画『関ケ原』は、僕が敬愛する国民的作家と言われた司馬遼太郎の『関ケ原』がその原作である。映画では、豊臣秀吉がなくなるあたりから、関ケ原の戦いが決着するまでを石田三成を中心に描いていた。映画を見る前から秀吉の死から関ケ原の戦いまでを映画にするのは、いかにも時間的に無理があるし、そもそも歴史を詳しく知らない人が見ても、にゃんとも思わないだろうと考えはしたが、それなりによく作られていたと感じられた。また岡田准一氏演じる石田三成が、まったく石田三成っぽくなかったのがちょっと残念と言えば残念である。やはり石田三成はどこか嫌われる要素があっての三成であると思うのだが、かっこよすぎなのである。

 ただ少し感銘を受けたのが、当時の戦争のありようをそれなり歴史的に正しく描いていた点だ。よく大河ドラマなどを見ていると戦国武将と呼ばれる方々が、刀でバッサばさ相手を切って切って切りまくるシーンなどがあるが、そんなわけがない。刀でバッサバサなどは疲れるし、刀はそれほど切れないものであるからだ。またこの映画の足軽は槍で叩き合ってた。当時の戦はどうにも今で考えると運動会のような感があり、槍などは突くのではなく叩くものであるわけで、なので足軽といえば大きな三角形の笠のようなカブトを着用しているわけである。そのあたりの描写は歴史好きでないとできなものではある。

 最近知り合った若者と週末に飲んだ。その若者は青山学院の大学院まで行き日本史を収めたそうで、その専門も戦国時代であるとのこと。ラインの交換もしたがその画像は大一大万大吉であった。彼も映画『関ケ原』を見たとの事で、その話で盛り上がった。だが、いろいろ話をしてみたが、どうにも大学まで出てきた彼よりも僕の方が詳しいようで、いろいろ教えてあげたりした。

 どうも最近、ジジくさくなってきたもんだ。。

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2017年10月16日月曜日

新燃岳が爆発したようで

 今年の8月の頭から鹿児島にてお仕事をしている。鹿児島は3年連続なのだが、これほど桜島がボコスカ爆発しているのは初めてだ。一昨年と去年で合計7か月ほど鹿児島にいたのだが、爆発を見たのは1回のみ。爆発といってもプ~ぐらいの爆発というほどの爆発でもなく、爆音も聞こえなかったのだが、どうも今年は違うらしい。灰降れば、少し先の視界はなく、風吹けば、目がイタイイタイのである。ここまで爆発するのも、昨年の熊本地震の影響だろうか。。いやいやそもそも地下の様子が東日本大震災よりおかしいのだろうか。よくわからない。だが桜島もそうなのだが、新燃岳が一昨日からボカンときたわけで、どうも九州がやばそうな気がする。

 僕は宮崎生まれ宮崎育ちだが、そもそも宮崎に爆発を起こすような火山があること自体、幼いころは知らなかった。宮崎の南部には火山はあるのだが、僕が育ったのは宮崎の中部であるからだ。2011年の1月だったか、以前、新燃岳が爆発したころはまだ僕は宮崎で駆け出しの建築士としてぴ~ぴ~言っていたころであり、やることないからぼ~っと爆発する新燃岳を眺めながら、宮崎はついてないの~とぼやいていた記憶がある。だがその年の4月に東日本大震災が起き、宮崎の僕ですら新燃岳の爆発がいつ止まったのかさえ今となっては覚えてはいない。

 南海・東南海地震が近いといわれて久しい。僕が住む宮崎では1662年に外所(とんとろ)地震という津波を伴う大地震があった。当時、宮崎から東に突き出るようにあった外所地区が海に没して今はないというのだからいかに大きな災害であったのがわかる。以前見たNHKの地震の番組で、日向灘沖ではスロースリップが起きているとあった。このスロースリップは大地震の引き金となるといわれているものである。僕が生きている間に大きな地震は必ず起こると思うが、何とか生き延びたいものである。ビキニ女より山ガールが好きな僕としては海で死ぬわけにはいかんのだ。

 まあ、東日本のように新燃岳の数か月後に起きるとは思ってはないが。。

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2017年10月15日日曜日

『monoマガジン』さまに、載っちゃった♡

お久しぶりである。ブログを書いていたのも忘れるぐらい、ご無沙汰である。現在は地元の宮崎を離れ、鹿児島でお仕事。元気でお仕事してたら、完全に忘れていたのである。まあ、ぼちぼちやっていこうかと思っています。。

先週末であったか、以前このブログでも紹介した猫が6匹の3世帯住宅のリフォーム施主さんから電話が入った。なんとあの『monoマガジンの10月16日号』に掲載されているとの事。あの『monoマガジン』さまといえば、僕が住む宮崎のド田舎の本屋さんでも売っている超有名雑誌。長い事設計の仕事していれば、そりゃ色んな雑誌にも載った。インタビューも受けた。かしそのほとんどはどこに売ってるか全くわからない専門誌であり、『monoマガジン』さまのような、立派な全国紙に自分が設計したものが載ったことは無かったわけであり、ちとうれしい。

とりあえず本屋さんに行ってみたら、お店のいっちゃん目立つところに『monoマガジン』さまは置いてある。内容は猫の特集。なんとも今、世間様では猫ブームであり、いろんな雑誌で猫特集などやっているらしいのである。雑誌をペラペラめっくてらあったのである。49ページにちゃんと載っていたのである。2年前の仕事であるので、すっかりどんな家だか忘れていたのだが、読んでいくうちにちょっとだけだが目頭が熱くなった。感動したのがその理由ではない。大変やったな~ってのがその理由である。


だがぱっと読んでみたら、僕の名前が入ってない。。ん⁉施工会社さんの名前しか出てこない。。これでは、まるで設計したのは私ですって言うているようなもんじゃないか!この家の場合、設計管理で6か月、そのうち施工は1か月半、大工がやらかして、ぷらす2週間。。まったく。。もう。。おいおいである。。

家を作るのに一番時間がかかるのは設計という作業なんです。そのへん理解してもらいたいと思います。

でも、宣伝とはいえ、選りすぐりの2選に選んでくれた『HOUZZ(ハウズ)』さまと、『monoマガジン』さま、本当にありがとうございます。


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2017年1月31日火曜日

『住箱』について考える

 昨年の暮れであったか、まだ仕事で鹿児島に滞在しているときに、ぼんやりと鹿児島中央駅の本屋さんの建築のコーナーに行った際、建築家の作品しか載せてもらえない雑誌で建築業界では権威ある『新建築』という雑誌を開いた。そこには隈研吾さんが手がけたモバイルハウス『住箱』という作品が出ていた。隈研吾さんと言えば、現代日本を代表する建築家であり、かの僕がコンペにも呼んでも頂けなかった新東京国立競技場の設計者として有名な方である。その『住箱』という作品を見て思った。これってスモールハウスみたいなものだよね。

 スモールハウスの定義なんてものは特にないが、だいたい大きさは延床で3坪~10坪程度の家をさすのだとぼんやりとだが思っている。アメリカの場合だとモバイルハウスだろうが小さければスモールハウスなんて呼ぶようだ。僕が考えるスモールハウスとは、あくまで極上のお一人様の家であり、小さいからこそお金をかけて断熱性能や快適性を追求するべき家だと思っている。


 さて隈さんの『住箱』であるが、いわゆるモバイルハウスである。モバイルハウスという事は車でけん引できるという事か。ただけん引はできるだろうが、どうだろう。。車でけん引するという事は、内部に固定されていない家具類など置いていたら、コロンコロンと転がるって事ではないだろうか。例えばキャンピングカーなどは、よくできたもので、引き出しなどにはストッパーが付いており、けん引の際の振動で簡単に引き出しが飛び出ない工夫などがされているものである。見た感じ、そのような工夫は自分でしてね♡という事なのだろうか。。また、見た目はコンパネだね。。


 まあ、気持ちはわかる。設計事務所として採算がとりにくいのがスモールハウスであるからだ。家が小さいからこそ寸法等を細かく設定しなくてはならないし、カタチや家のボリューム等などなど、考えることがめちゃめちゃ多い。もちろん、小さくても書く図面の枚数はそれほど変わらないわけで。。ようは儲からないわけである。なので同じものを10セット限定販売!などとしているメーカーさんも多いわけだ。まあ、今回の隈研吾さまの『住家』も設定金額からすると儲けもないであろうから、コンパネにならざるおえなかったのだろうとは思う。


 ここ数年スモールハウスは注目度が急上昇らしく、いろんなところで特集が組まれている。5年ほど前からスモールハウスを見つめてきた僕としては、少しだが喜びを感じていたりする。


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2017年1月5日木曜日

2017年もよろしくお願いします。

  昨年は馬車馬のように働き、また色んな事もあった一年であった。。 あけまして、おめでとうございます。今年は昨年とは心を変え、真面目に仕事とブログにいそしむ次第です。どうぞよろしく。

 3月の15日。。嗚呼、忘れもしない確定申告の最終日。国から賞の一つ貰っても良いくらい善良な国民である僕は、例年のごとく最終日ギリッギリに税務署に行き、受付の姉さまにどや顔しながらバシ~と税金を払い、泣きそうな顔して車を運転していた。そして、昼過ぎなので地元のラーメン屋でも寄ろうかと赤信号で止まっていたら、急にドン!という衝撃。。バックミラーを見たら後部車両が僕の車にソフトタッチしているじゃないか。。そして気まずそうなサラリーマンが泣きそうな顔してやがる!ヘイ!善良な国民に何しやがる!と言いたかったが、そこはぐっとこらえて、『大丈夫ですか?』と聞くと、その若いサラリーマンは『すみません。。すみません』を連呼する。。その後、お巡りさん飛んできて、現場検証。。そして保険屋さんにお電話。。僕は止まっていたのにど~んと来たわけで、100対0で相手の責任との事であった。しかし若いサラリーマンがあまりにも『すみません』と言うので僕はかわいそうになり、一言『ラーメンでも食べんな?』と言うた。やっこさんはぽか~んという顔したが、『はい。。』と答えたので、仲良くラーメン屋へ行き、『そんなに謝んなって』とラーメンをおごってあげた。その後、事故したばかりの頃は何ともなかった。だが、翌日雨が降ってきたのだが、なんかおかしい。。腰と頭が痛むのである。。ってことで、急きょ知り合いのヤブ医者に行くと、『あっ、事故の後遺症だね、多分一生もんだぜ♡』と言いやがる。。まあ、しゃあない。。


 3月の21日だったか、父方のばあさんが死亡(合掌)

 そして迎えた4月の14日。。ぼ~とテレビを見ていたら、緊急地震速報がでた。熊本地震である。テレビの向こうではカメラが回り、熊本城がホコリ立っている。。これはまずい。。と思い、すぐに横でテレビをつけたままソファーで寝ていた母親をたたき起こし、外へ避難しようとした。なぜなら、設計士である僕は、自分の家が大きな揺れが襲うと倒壊の可能性があることを知っているからだ。だがそんなゆとりもなく、宮崎の我が家も揺れ出した。。えらいこっちゃとすぐ自分の部屋に戻り携帯を手にするとすぐに電話が鳴りだした。『君の家は大丈夫か?すぐに熊本に入れるか?』僕は建築設計の仕事もしているが、損害保険の鑑定人という資格も持っているので、大きな災害、つまり地震や雪害、台風、落雷などがあれば、全国どこでも飛んでゆき調査に入るのである。そしてその日は12時が回るまでに14件の電話が入り、大変であった。。内容はもちろん『うちの鑑定事務所で来ませんか』まあ、それが仕事なのである。。
 熊本地震はまずは福岡に入った。熊本に入ろうにも各保険会社は体制が整わないようで入れないからだ。もちろん福岡でも揺れたわけであり、そこでの調査がスタートとなった。熊本に入ったのは5月の8日から。熊本では玉名市の温泉旅館に知らないおっさんと相部屋しながら、2時間かけて保険会社に入るのである。そこで6×7mの部屋に最大時70人のおっさんとプリンター2台で地震保険の書類を作成するのである。実に仕事にならない。まあ災害があれば最初はそんなものである。そのうち休みは。。死んだばあさんの49日で3日。母方の祖母が急死(合掌)したので葬儀で3日、風邪ひいて声が全くでなくなり、スタッフさんに『やすんでください♡』と優しい言葉をキツイ笑顔で言われて1日、そして純粋な休みが1日の8日のみで、どえらいつかれた。。そして終わったのが8月12日である。

 そして初盆を迎えた。さすがに2件も初盆が来るとは思ってなかったが、こればかりはしゃあない。色んな親戚が次々来られる。その中の父親のいとこがポそり『親父の容体があまりよくないんや』と言われ、16日に見舞いに行くとおじさん全然元気。な~んだ、たいした事ないじゃん!おじちゃんと帰ったら翌日の夜に亡くなった(合掌)。。えっ。。って事で急きょ葬儀。。学校の校長先生であったので、やはり大きな葬儀であった。。やっと葬儀も寺も終わった~と思い、たまりにたまった熊本の後片付けをしていた23日に急に電話が鳴った。『池袋に行ってもらえませんか?』まさかの台風10号である。。休みが欲しい。。とは思ったが、25日には池袋ですでに飲んでいた。。
 実際は台風は岩手や北海道を襲ったのだが、埼玉の方にも水害がでた。その調査で8月の25日から1月ほど池袋である。田舎者の僕には電車で移動ってだけで疲れた。。そして毎晩酒を浴びるほど飲みまくった。
 そして9月の25日に今度は鹿児島である。台風16号だ。去年も鹿児島で調査を3か月であった。今年の台風は昨年とは違い大隅半島である。どうも鹿児島とは縁が深いようだ。だが働いているうちに体の調子がおかしい。どうも疲れが取れないし、ポンポンがはるのである。災対のお偉いさんに病状を伝えたら『それはきっとガンだよ~』って笑顔で言われた。そのお偉いお方は以前ガンとなり生還されたのだが、どうもガン仲間を増やしたいらしい。ビビりながら、ガンじゃないよね~と病院に行ったら、血液検査をし、お腹をたたかれてた。『先生、ガンですか?』と聞くと、『いや~ポンポンって聞こえるだろ、これはガスが溜まりすぎね』と笑顔で言われた。。どうやら池袋で焼き鳥を食いすぎたようである。一応、その日は薬をもらい、後日血液検査の結果をもらいに行くと『肝臓の数値が5倍だよ』と言われた。。どうも熊本いらい飲みすぎたようだ。。って事で宮崎に帰ってきた12月16日以来、お家で運動と水ばかり飲んでいる。


 そんな1年でした。今年こそは頑張りますのでよろしくお願いいたします。

 
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